平岡滴宝著「四柱推命の秘則 新訳滴天髄 干支論」№2

       子平学 四柱推命 運命学

( 本文より )

滴天髄を編纂したのは、明の太祖朱元璋を助けた劉伯温と言う人で、

時代は1311年より1374年の間、元末期より明の初期洪武の時代に生きた人です。

 

( 滴天髄の訳本や註釈本で、新訳滴天髄の参考文献の一部 )

清代の初め  陳素庵氏  「嫡天隋輯要」(註釈本)

その後    任鉄焦氏  「滴天髄徴義」(訳本)

近世     徐樂吾氏  滴天髄徴義を更に①註釈や②補註を書物に

近世     袁樹珊氏  「專闡微」滴天髄徴義を更に註釈

 

< 滴天髄/干支論・その2 >

1)陽が陽位にのぼれば陽気は盛んで、最も行程の安頓を要し、陰が陰に

     のぼれば陰気は盛んで、またすべからく道路光亨すべし。

2)地が天を生ずる者は、天衰えれば冲を恐れ、天が地を合する者は、

       地旺ずれば静かなるを喜ぶ。 

3)甲申、戊寅これを殺印相生となし、庚寅、癸丑又これ殺印両旺、

     上下は情協を貴び、左右は志同じを貴ぶ。その始まる所から始まり、

     その終る所で終れば、富貴福寿は永き無窮かな。

 

    ( 訳 )

1) 内格では火の勢いが強かったら、行運が・・・・・・・・の寒地が良好の

   運だと言えますし、冬生まれの様に水の勢いや寒さが強い命式は、

   東南、・・・・・・・・・・が巡る時が良好と言えます。

2)地支が天干を支えていて、尚他の干と比べて弱かったら、当然その地支が冲され

 ることが心配ですし、天干と地支との関係が、他の干とのバランスが

 よくとれている場合も同論です。

3) 又例えば、申の蔵干は水を含んでいるので、甲木から見れば、通変星は??

と ??になりますが、天干に・・・・があればそれらを支えることになり、

そのバランスが問題と言えます。・・・・・・・・・・も同論です。

ですから命式によってどうなっているのかを見定めなければいけません。

命式中の喜の干が、年支と時支に支えられている時は良い命式だと言え、

富貴福寿が長く続きます。

※庚寅の場合の蔵干説は、旧月気三気説の戊日二分を指しています。

(局気を重要視している通根説では採用していません。和珞)

 

  (追論)

 最後の、その始まる所の項は、素庵氏の訳に対し任氏は条件をつけていますが、

伯温氏自体、休咎は運次第と言っておられ条件次第で良い命式と言え、

これに運がともなえば原文通りと言って良いでしょう。

例えば時上一位の干が、日干と干合して尚有情であり、

根が年支と時支にあるような命式です。

この様な場合は、時上の喜の干は運の干との干合、尅洩の変化が少なく、

地支の冲等の時だけの変化と言え、最も変動が少ない為です。                                                       

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< 和珞 干支論についての余談 >

1)について、「冬生まれの様に水の勢いがつよければ 東南が良い云々」

は、壬癸や亥子丑辰申などの字が多い命式で、こうした運が幼少期忌運で巡れば

「幼児忌の水勢強ければ、北方に死す」や「幼少に厄ずく」などと古書は言い 

今に伝えられています。

 これは「死」の意味とは違い、災難の大きさを言ったものですから 

命式の見極めが必要です

現実には、子峰院や推命仲間達からの経験談は興味深い話を、

私も依頼者からは多くの話しを伺っています。

例え喜運であってもこうした命式の方が 幼少期水運巡る人は消極的になり

親御さんに心配をかける例は少なくありません。

又、火気の強い命式も同じ事が言えますが、経験的な事から言えば水勢

の方が、災難としては酷いのでは無いかと仲間同士で話しをしています。

3)戊寅 己未 癸丑については

寅は、木火強め、未は木火土強め、丑は土金水を強める

戊日寅は、火は印星 木は官星にあたり、

己日未は、火は印星 土は日比劫 木は官星にあたり、 

癸日丑は、水は日比劫 金は印星 土は官星にあたる。

日干を強めるグループ(日比敗劫・印星)と日干を弱める(官星)に通根し、

喜忌を見極めるには難解ですが、見定める必要があります。

「辨別、分暁、一つをもって推すべからずとか、余これにならう」などと

古人も度々注意しています。

 

 

 

参考文献  平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」 

平岡滴宝訳 「神峰通考 干支対象詩」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2019/06/13 )