子平学・四柱推命の歴史

 今回は平岡滴宝先生の著書の中から、子平学・四柱推命の歴史や人物について

書かれたものを一部抜粋し書き写してみました。

著書は、四十年~三十年前に書かれたもので数字的に食い違う点が

ありますが、そのまま書き写していますので御了承ください。

 先生は専門書を求めて幾度と中国に渡り、日本では手に入らない本でも

勉強をした人でした。

 

< 「子平学・四柱推命法深書」序の章 子平学より >

 相国、陳素庵氏(清代初期、順治時代、一六四四年頃)の命理約言と言う

書には、禄命の学(子平学)はいつ頃から起ったのか、はっきりしないと

書かれています。

 明代の張神峯氏は、徐居易氏が始めてだろうと言われています。

その原則らしきものはずっと昔、西紀前三〇〇〇年頃、伝説時代と言われ

黄帝にさかのぼると書いておられました。

 いろんな諸説はありますが、現在の四柱推命即ち生年月日時の四柱八字を

基本として、いつ頃から人の運命を推しはかるようになったのか、

区別出来る資料や基準はないと言ってよいのではないでしょうか。

 ちなみに先の鬼谷氏は、黄金策と言う五行易の書を書き残された人です。

 漢代、世紀前二〇六年より始まり、世紀二二〇年迄の間では、

星宗や七政四餘と言ったいわゆる星で占うやり方があり、

人によってはそれが子平学の原点だと言う人もあります。

又一説では、六一四年からはじまる唐代での李虚中氏が、

四柱八字の干支の生尅に、主眼をおいたやり方をした時とも

言われたりしています。さらに現在の仕方に最も近く、

通変星を使用し始めた時が、子平学の最初とすべきだとの論もありました。

しかしこの通変星をいつ頃から使い出したかについては、

これ又確証がありません。

 一三六八年から始まる明代の人で、三命通会と言う書を編纂された、

民英、萬育吾氏は、虚中、居易、大升、徐公升に至る迄、

即ち唐代から宋代の間では、いくど推命のやり方が変わったか知れないと

記しておられました。

 居易、大升、公升、三氏の性は「徐」であり、徐子平の称号は、

この三氏のいずれにもあてはまると言えそうです。

 二〇〇〇年以上の歴史があると言われる各種の占術では、

生まれ年を主体としていますが、これは現在でも、生まれ年の「えと」

として皆さんもよくご承知のとおりです。

 この基準となる生年の干を日干に変えた人は、九〇七年から始まる、

五代十国と言われる末期の徐居易だとされ、それ迄は四柱推命も生年の干が

基本となっていました。

 又徐大升は北宋、徐公升は南宋時代の人で、皆さんがよく耳にされる

「渕海子平」と原書は、東斉、徐公升の編纂になるものです。

 もし「「渕海子平」を、徐公易(子平)氏が書いたものと

記憶されている人があるとすれば、それは、あやまりです。

 このように見てゆきますと、徐大升氏の渕源定眞論では、

すでに通変星が使われおり、やはり現在的な四柱推命と言えるものの

起りはどうやら五代の人、徐居易氏頃からと言っても

良いのではないでしょうか。

 しかし当時の日干主体の推命法は、四柱八字の干支の生尅と同時に、

古来からの星をも併用していました。このやり方は、

三徐、明代の萬育吾、張神峯、清代初期の陳素庵、

(後年は無神殺に変わっています。)四言集腋の廖氏、

近代徐楽吾、袁樹珊、龔稚川などの各氏に受けつがれ現在に息づいています。

 現在の日本では主にこの方法のようです。

もう一つは、明代を起こした朱元璋の軍師、劉基伯温と言う人が

残した滴天髄です。

 この内容は、干支の生尅の情を重視し、陰陽の変を言い、格を集約し、

すべての神殺星を排除してあります。これは画期的な方法で、

後世の人は無神殺論と呼び、現在の中国子平推命の主流を

なしているとも言われています。

 この無神殺論をうけつぐ人には、宝鑑を原編された余春台、

後年の陳素庵、同じ清代、任鉄橅、沈孝膽、韋千里、張耀文の

各氏があげられ、日本でも次第にその支持者が増えつつあります。

 かく言う私もその端の一人です。

 子平学の沿革は概してこのようであり、神殺併論と無神殺論の二つに

大きく分かれているのが四柱推命の流れと言えそうです。

 ここで特に目をひくのは、今から約六二〇年も前に初めて

無神殺論を展開した劉伯温氏であり、

後年になって無神殺論に変わった陳素庵氏であります。

 両氏は渕海子平に精通し、なお無神殺論を支持しました。

そしてさらに言いたいことは余春台氏を初め、清代以後の殆どの人達が、

その両方に精通しながら、それぞれの論を展開していることであり、

いかに旧説と言えども、あくまで神殺が主体ではないと言う事実です。

 こうした中でさらに私が興味をひかれるのは、

前述にあげた徐楽吾氏などを含む清代迄の先輩達の殆どが、

占術のプロではなかったと言うことです。 

 これは何を意味するのか。

 それは各種の占術の中でも、子平学は運命学として真に興味深く、

価値があると各氏は思われたのではないだろうか、

それならばこそ無神殺派の人達は、占術の主役である星々を排除し、

天地の自然と人間との、リズムの同体化を重要視されたのではないかと、

私にはそう思えてならないのです。

 しかし私は劉伯温氏の生涯を知るにつけ、言葉少なく残された

滴天髄の原文の中に、人としての生き方のようなものを

教えられた気持ちがし、なおやがて来るべき21世紀の人々の生き方、

考え方迄、問いかけられているような気がしてなりません。

このような気持ちから、私は子平学だけを専攻し、無神殺論を支持します。

 

又< はじめ >の項では

 原書を見られた先生の中には、たとえば鬼谷子を周末期、

戦国時代の人と記された人がありましたが、もう少しあと迄読んで頂ければ、

戦国時代ではないとあるのがおわかりになったと思いますし、

徐子平を徐居易氏だと記し、陳希夷氏と友人だと言われたりしていますが、

居易氏は五代の時代で、希夷氏は北栄の時代ですから明らかに時代が違い、

友人になれる筈がありません。   

 宋代では徐大升氏が定説であり、陳希夷氏は徐大升氏と

友人であった可能性は考えられます。

 

「平岡滴宝訳 神峰通考 干支対象詩」では、

次の様に書かれています。

 天干体象についての論説で有名なのは、

劉伯温氏の滴天髄、著者不明の造化元論(俗に言う窮通宝鑑)と、神峰通考の

三書であります。しかし内心驚かされことは、

同じ明代でも三者に疎通が見られないのに、

その考え方が似かよっていたと言うことです。

                   f:id:sihoin:20190719142402j:plain

     < 和珞の感想 >

※滴天髄、造化元論、神峰通考が似かよっているとは言え、

異なった解釈は至るところに見受けられますね、

そいったところを見つけて三者の違いを味あう事ができれば、

子平学はより面白味が湧いてくるのではないかと思います。

 この三書は共に上記の通り明代です。

私が興味を持ったのが、渕源定眞論を書かれた北宋時代の徐大升氏の事で、

深書の十天干体象の章では、氏の元理腑の中に現在では「反生反尅の理」

と言われる干関係の特殊性がすでに書かれていたと、

宋代は明代より古く三書の頃よりおよそでも百年以上前の事となります。

勿論大升氏の論と似たものが明代の三書に中にもありますが、

現在でもあまり唱えられてないものがあると

感じながら時々重宝に使わせて頂いております。

 

滴宝先生は著書の至る所に 

子平学に関連する時代と先人方の名前を記しては、内容説明をしておられます。

お手元に著書をお持ちの方は、こうした文にも御目を止め読んで頂けますと

子平学をより楽しんで頂けるかもしれません。

 私は恥ずかしい話ですが独自で子平学の、歴史の勉強をした事がありません。

なぜなら滴宝先生の著書には充分にそれらが書かれていたからです。

何度となく読んでいく内先人方の名前、著書名、時代や順序は

頭の片隅に残りました。

先生は子平学だけでなく中国の歴史物には興味をお持ちで、

記憶に残る物としては、陳 舜臣氏、吉川英治氏、井上靖氏の作品を

読んでいた事を思い出します。

 私はユン・チアン氏のワイルド・スワン上下二冊を選び、

誕生日にプレゼントしてとても喜んで頂いた思い出があります。

 

参考文献 平岡滴宝著  「子平学・四柱推命法深書」

     平岡滴宝訳  「神峰干支体象詩」      

          

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/10/06 )

 

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子峰院の子平学・四柱推命( 子平学・四柱推命の歴史 )

 今回は平岡滴宝先生の著書の中から、子平学・四柱推命の歴史や人物について

書かれたものを一部抜粋し書き写してみました。

著書は、四十年~三十年前に書かれたもので数字的に食い違う点が

ありますが、そのまま書き写していますので御了承ください。

 先生は専門書を求めて幾度と中国に渡り、日本では手に入らない本を手にして

勉強をした人でした。

 

< 「子平学・四柱推命法深書」序の章 子平学より >

 相国、陳素庵氏(清代初期、順治時代、一六四四年頃)の命理約言と言う

書には、禄命の学(子平学)はいつ頃から起ったのか、はっきりしないと

書かれています。

 明代の張神峯氏は、徐居易氏が始めてだろうと言われています。

その原則らしきものはずっと昔、西紀前三〇〇〇年頃、伝説時代と言われ

黄帝にさかのぼると書いておられました。

 いろんな諸説はありますが、現在の四柱推命即ち生年月日時の四柱八字を

基本として、いつ頃から人の運命を推しはかるようになったのか、

区別出来る資料や基準はないと言ってよいのではないでしょうか。

 ちなみに先の鬼谷氏は、黄金策と言う五行易の書を書き残された人です。

 漢代、世紀前二〇六年より始まり、世紀二二〇年迄の間では、

星宗や七政四餘と言ったいわゆる星で占うやり方があり、

人によってはそれが子平学の原点だと言う人もあります。

又一説では、六一四年からはじまる唐代での李虚中氏が、

四柱八字の干支の生尅に、主眼をおいたやり方をした時とも

言われたりしています。さらに現在の仕方に最も近く、

通変星を使用し始めた時が、子平学の最初とすべきだとの論もありました。

しかしこの通変星をいつ頃から使い出したかについては、

これ又確証がありません。

 一三六八年から始まる明代の人で、三命通会と言う書を編纂された、

民英、萬育吾氏は、虚中、居易、大升、徐公升に至る迄、

即ち唐代から宋代の間では、いくど推命のやり方が変わったか知れないと

記しておられました。

 居易、大升、公升、三氏の性は「徐」であり、徐子平の称号は、

この三氏のいずれにもあてはまると言えそうです。

 二〇〇〇年以上の歴史があると言われる各種の占術では、

生まれ年を主体としていますが、これは現在でも、生まれ年の「えと」

として皆さんもよくご承知のとおりです。

 この基準となる生年の干を日干に変えた人は、九〇七年から始まる、

五代十国と言われる末期の徐居易だとされ、それ迄は四柱推命も生年の干が

基本となっていました。

 又徐大升は北宋、徐公升は南宋時代の人で、皆さんがよく耳にされる

「渕海子平」と原書は、東斉、徐公升の編纂になるものです。

 もし「「渕海子平」を、徐公易(子平)氏が書いたものと

記憶されている人があるとすれば、それは、あやまりです。

 このように見てゆきますと、徐大升氏の渕源定眞論では、

すでに通変星が使われおり、やはり現在的な四柱推命と言えるものの

起りはどうやら五代の人、徐居易氏頃からと言っても

良いのではないでしょうか。

 しかし当時の日干主体の推命法は、四柱八字の干支の生尅と同時に、

古来からの星をも併用していました。このやり方は、

三徐、明代の萬育吾、張神峯、清代初期の陳素庵、

(後年は無神殺に変わっています。)四言集腋の廖氏、

近代徐楽吾、袁樹珊、龔稚川などの各氏に受けつがれ現在に息づいています。

 現在の日本では主にこの方法のようです。

もう一つは、明代を起こした朱元璋の軍師、劉基伯温と言う人が

残した滴天髄です。

 この内容は、干支の生尅の情を重視し、陰陽の変を言い、格を集約し、

すべての神殺星を排除してあります。これは画期的な方法で、

後世の人は無神殺論と呼び、現在の中国子平推命の主流を

なしているとも言われています。

 この無神殺論をうけつぐ人には、宝鑑を原編された余春台、

後年の陳素庵、同じ清代、任鉄橅、沈孝膽、韋千里、張耀文の

各氏があげられ、日本でも次第にその支持者が増えつつあります。

 かく言う私もその端の一人です。

 子平学の沿革は概してこのようであり、神殺併論と無神殺論の二つに

大きく分かれているのが四柱推命の流れと言えそうです。

 ここで特に目をひくのは、今から約六二〇年も前に初めて

無神殺論を展開した劉伯温氏であり、

後年になって無神殺論に変わった陳素庵氏であります。

 両氏は渕海子平に精通し、なお無神殺論を支持しました。

そしてさらに言いたいことは余春台氏を初め、清代以後の殆どの人達が、

その両方に精通しながら、それぞれの論を展開していることであり、

いかに旧説と言えども、あくまで神殺が主体ではないと言う事実です。

 こうした中でさらに私が興味をひかれるのは、

前述にあげた徐楽吾氏などを含む清代迄の先輩達の殆どが、

占術のプロではなかったと言うことです。 

 これは何を意味するのか。

 それは各種の占術の中でも、子平学は運命学として真に興味深く、

価値があると各氏は思われたのではないだろうか、

それならばこそ無神殺派の人達は、占術の主役である星々を排除し、

天地の自然と人間との、リズムの同体化を重要視されたのではないかと、

私にはそう思えてならないのです。

 しかし私は劉伯温氏の生涯を知るにつけ、言葉少なく残された

滴天髄の原文の中に、人としての生き方のようなものを

教えられた気持ちがし、なおやがて来るべき21世紀の人々の生き方、

考え方迄、問いかけられているような気がしてなりません。

このような気持ちから、私は子平学だけを専攻し、無神殺論を支持します。

 

又< はじめ >の項では

 原書を見られた先生の中には、たとえば鬼谷子を周末期、

戦国時代の人と記された人がありましたが、もう少しあと迄読んで頂ければ、

戦国時代ではないとあるのがおわかりになったと思いますし、

徐子平を徐居易氏だと記し、陳希夷氏と友人だと言われたりしていますが、

居易氏は五代の時代で、希夷氏は北栄の時代ですから明らかに時代が違い、

友人になれる筈がありません。   

 宋代では徐大升氏が定説であり、陳希夷氏は徐大升氏と

友人であった可能性は考えられます。

 

「平岡滴宝訳 神峰通考 干支対象詩」では、

次の様に書かれています。

 天干体象についての論説で有名なのは、

劉伯温氏の滴天髄、著者不明の造化元論(俗に言う窮通宝鑑)と、神峰通考の

三書であります。しかし内心驚かされことは、

同じ明代でも三者に疎通が見られないのに、

その考え方が似かよっていたと言うことです。

                   f:id:sihoin:20190719142402j:plain

     < 和珞の感想 >

※滴天髄、造化元論、神峰通考が似かよっているとは言え、

異なった解釈は至るところに見受けられますね、

そいったところを見つけて三者の違いを味あう事ができれば、

子平学はより面白味が湧いてくるのではないかと思います。

 この三書は共に上記の通り明代です。

私が興味を持ったのが、渕源定眞論を書かれた北宋時代の徐大升氏の事で、

深書の十天干体象の章では、氏の元理腑の中に現在では「反生反尅の理」

と言われる干関係の特殊性がすでに書かれていたと、

宋代は明代より古く三書の頃よりおよそでも百年以上前の事となります。

勿論大升氏の論と似たものが明代の三書に中にもありますが、

現在でもあまり唱えられてないものあると

感じながら時々重宝に使わせて頂いております。

 

滴宝先生は著書の至る所に 

子平学に関連する時代と先人方の名前を記しては、内容説明をしておられます。

お手元に著書をお持ちの方は、こうした文にも御目を止め読んで頂けますと

子平学をより楽しんで頂けるかもしれません。

 私は恥ずかしい話ですが独自で子平学の、歴史の勉強をした事がありません。

なぜなら滴宝先生の著書には充分にそれらが書かれていたからです。

何度となく読んでいく内先人方の名前、著書名、時代や順序は

頭の片隅に残りました。

先生は子平学だけでなく中国の歴史物には興味をお持ちで、

記憶に残る物としては、陳 舜臣氏、吉川英治氏、井上靖氏の作品を

読んでいた事を思い出します。

 私はユン・チアン氏のワイルド・スワン上下二冊を選び、

誕生日にプレゼントしてとても喜んで頂いた思い出があります。

      

  ( 無断使用・転載禁ず ) 

 

参考文献 平岡滴宝著  「子平学・四柱推命法深書」

     平岡滴宝訳  「神峰干支体象詩」      

          

 

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子峰院 和珞の鑑定例No97

 虐められる構図?「身弱だから」とよく耳にしますが、

身旺の方でも虐められ反対に身弱であっても虐められない人もいます。

この方も見た目絶対にその様に見えませんから「虐められる」と言っても

信じて貰えないタイプですが、推命してみれば一目瞭然、信じることができます。

この月干(社会環境の人達)と時干(将来性)の関係性で見る対人関係、

子平学による読み方は現在の師渕宝先生より教わったものです。

 

 

< 命式・女性 >

食   印 比     巳申―支合 生月8月(月令)庚―秋

乙キ 癸ィ庚ィ癸ィ    癸2干丑1支(3)

卯キ 丑ィ申ィ巳ィ    庚1干(令二倍)丑1支(3)

乙 己 庚ィ丙     乙1干卯1支 (2) 

A(日比陰)は6 B食神は2 AはBの三倍だが

癸の地支丑の水の蔵干は癸 2干の癸は湿気で霧、霧は乙に洩気しく

A6マイナスα 対 B2 AはBの三倍以下で内格

用神取法は扶抑法(内格)  格名は内格印綬  用神印綬庚は忌

命式の喜忌は、忌の干支=癸庚と、それに通根する丑        

       喜の干支=乙と通根の卯

< 命式は >

丑の水の蔵干は癸 よって2干の癸は秋の霧。又亥・寅運で巳申が還る時期は

申水の蔵干は壬で癸は雨へと変わる。

〇庚金は癸との関係で錆び、忌で錆びの庚は忌であって印綬の良さを出せない。

〇乙の地支卯は、側支に凍土の丑、蔵干は辛で元気なく乙も元気を失っている。

〇滴宝式五気看法では、木は2、火は0 土は1 金は3 水は3 精神力より

体力勝り、命式中に酷い尅の関係なく、季節は秋、卯もあって命式は冷ではなく

健康面には恵まれるが 火の0よりも卯丑の関係で土の1胃に弱点、

体質は多くを食せないタイプの為、普段は問題ないが秘めた持病の可能性

(時間の経過で肝系にまで大運に注意)。

又基本的体質は、火は0と弱く火運の時期は水からの尅で例え喜運であっても

健康に要注意、しかし喜運命迄の問題とは至らない可能性。         

〇日干癸・年干癸(父親・幼少期・青年期)は日支丑で還流、霧(癸)同士は一つに

なれなくても交わる事が出来る。父親とは意思疎通が出来て縁も深い、

現実でも三人兄弟の末っ子の彼女が父親の面倒を見ています。

又幼少・青年時代の友達とも交流は深くストレス解消に、

しかし忌、時には酷い仲間割れをする事もある。

〇日支丑(伴侶)は、年・月・時を還流、本人の生活態度に理解はあるが、

蔵干己は偏官「一寸やり過ぎではないか」忌の日干を制するところもあり

丑は忌であり窮屈に感じる事も。

月干(社会生活)庚は、時干(将来)の乙を尅してる 警戒心強く表情や表現は

頑なで不器用。庚は側干の癸で錆びて不器用、

よって社会の人達はそうした彼女を馬鹿にし軽くあしらう

(本人は虐められていると感じる)、利用される事も多く上司は

安価に使おうとする(彼女の苦労)。こうした命を持つ人は働き盛り運に

恵まれない人はいずれ社会対して「見返してやろう」と目的意識を持ち

チャンスを伺う人でもある(反骨精神)。

〇生き甲斐は、日干癸(本人)は時干(子供・将来)乙への洩気、

子供の飛躍と晩年は穏かな生活であるが、

その前に自身を侮辱した人達に何とかしっぺ返しをする事が出来ればと

常々考えたのでしょう、きっと・・。

日干霧の性格は大人しく口数は少なく小回りが効く。

忌の印星強くプライド強く賢そうに振る舞うが、

ボロが出やすく人に見透かされ先手を取られる。

 < 大運 > 

◎=最高の時期 〇=喜運 △=現状維持 ✓=忌運 ×=一番悪い時期  

月令は金(庚)、乙運は月干の庚と化金 乙は辛に変わる

93 83 73  63   53 43  33 23 13 03

✓ 〇 ◎ 〇 〇 × 〇 ✓ ✓ ✓     

庚 己 戊 丁 丙  甲 癸 壬 辛  →(年運)丙丁戊己庚

印 殺 官 才 財 倒 傷 比 劫 倒  ←大運の通変星

午 巳 辰 卯  丑   戌 酉  →(年運)辛壬癸甲辛

〇 ✓ △ 〇 〇 × ◎ ✓ ✓ ✓

        解   丑 解 卯 卯  ←支合する命式の地支

(めいしき)                  (解)は解冲解合 

乙癸庚癸                 

卯丑申巳

  庚       < 大運は >

〇3歳辛運は庚との関係で、酉戌は卯を冲・合で無作用にし友達関係では、

疎外感を感じる時期。

喜の時支卯を支合する酉戌運は、何をやっても尽く上手くいかない。

〇13歳壬運は、洗金で忌運であっても気の会う友達もいて楽しい学生生活。

〇23歳癸運は、忌の癸を強め忌運。欲望は強まるが望みは叶わない

※15歳頃より結婚する23歳頃まで、親の援助で文化教室(印星の道)を開くが

 失敗する。

〇28歳亥運は、巳申の支合が還り、亥巳申 忌A4、喜B1プラスされ忌運。

得意になり過ぎでの失敗で切羽詰るような時期。

〇33歳甲運は、乙を強め喜運。38歳子運は、病の丑を支合で喜運。

この10年間は真心で人に接する事で(この頃より介護の仕事をはじめる 

乙の食神の良さを発揮)評価を得られる、経済面でもゆとり(家を新築)。

〇43歳乙運は、庚と化金乙は辛に変わり忌運。丑運は忌の水金を強め忌運。

世間体が気になり(気にしなければならない様な何かが起る可能性)

気を塞ぎ経済的にも苦しい時期。この10年間は最悪で前10年間との

ギャップもあり非常に苦しい時期となる。住宅ローンに苦しんだ可能性がある。

こうした時期は健康にも注意。

〇53歳丙は喜の財運、無根のためマイペースで仕事に挑むが、癸とは激 

忌の庚を弱めるには力不足 苛立ちが有る。この頃介護ヘルパーとして

長年勤めていた彼女は、介護福祉士の資格は取れるだろうか」と依頼を受ける。

丙運からは喜運へと転じ(転角)喜運は長く続き「大丈夫取れますよ」

と返事をする。庚が忌で錆び長年の忌運で勉学は苦手な筈、

喜運からはそれも改善、望みは叶うと見たからです。

しかし乗り物に弱い彼女は、試験会場となる隣の県への移動には

苦痛が伴い数回の失敗は愚痴が自然と多くなるが、

頑張って数回(国家試験は1年に1度)の挑戦で晴れて合格へと漕ぎ着ける。

それから数年後、「貴方が言った様になりました。一度辞めた職場で帰って

来て欲しいと頼まれ、交換条件を呑むと言われましたよ」と連絡を頂く。

それから数ヵ月後「職場を辞めました。上司に散々頭を下げさせて

首を横にばっかり振って思い切りスッカとしたわ。ありがとう!」

と言う連絡を頂きました。人生で一つの目的果たした達成感の声だった。

その為だけにあれだけの努力をしたのかと驚く。

現在は近くのコンビニで、朝早くから働いています。

〇丙丁運は無根、癸水、庚鉄を弱めるには力不足。

〇73歳戊運はは癸を合去、物事は上手く運び、卯から戊の10年は期待が持て、

とても良い時期となる筈です。腐れ縁は切れる。

〇83歳己運は乙に尅されて然程期待は持てない、消化器系を患う可能性。

しかし 卯運は元気の地支、程度を弁えての行動

〇辰は癸乙を強め△、年齢の割には元気

晩年は喜運が続き、時干、晩年の食神乙を育てています。

財運には今一つ恵まれいないが、健康と仕事には恵まれ

生活の為に元気で働き続ける事でしょう。

 

子峰院での鑑定は、五年運でほぼ百歳までの大運と、

 鑑定時の年より10年の年運、性格等、

 大運での象意と、相談内容の回答を対面鑑定は簡単に

 郵送鑑定では勿論詳しくした鑑定書を、必ずお渡ししています。

 大切に保管頂くと一生お使い頂けます。

                                                            f:id:sihoin:20190715142536j:plain

< 終わりに >

彼女は厳しく気休めの推命は通用しない依頼者、

悪くても出た通りを報告すれば納得して貰えます。

「あんたはヤッパ凄い占い師さんだわ」と彼女だけには誉めて貰えそうです。

推命では、福祉業界の一部を垣間見た気がしてなりません。

彼女が介護福祉士の資格を取りたいと思ったのは、

純粋にハイレベルのサービスを提供し、自身の技術を後輩に伝えたいと

言う気持ちからでした。しかし気持ちは何時の間にか陰謀へと、

時干喜乙卯の食神、体は丈夫、この様な人を業界から

摘み出す事はどうなのでしょうか?とても惜しい気がしてなりませんでした。

 

< ブログの参考文献 >

平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」「神峰干支体象詩」

      「子平学・四柱推命法深書」「秘本・子平廣論」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/09/29)

 

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子峰院 和珞の鑑定例No96

 テレビで御本人を拝見した時は面白さの中に、不思議さを感じる人で

興味を持っていました。暫く画面では見る事が少なくなっていましたが、

先日テレビで拝見、話を聞いていて推命の勉強をさせて頂く事に。

この方は関西のお笑いタレントで、画家の道を選びタレント活動をしばらく

休んだりしていましたが、タレント活動の拠点である会社は在籍を続けています。

あくまでも推定時での推命です。

< 命式・男性・推時 > 今年56歳 

時 日 月 年     生月1月節前 月令癸 季節(冬)

劫   官 才     辰酉―支合

戊キ 己キ 甲ィ癸ィ    戊癸2干0支 (2) 

辰 酉 子ィ卯ィ    甲(強化)3干1支(4)

戊 辛 癸ィ乙     癸月令1,5干1支 (2,5)

 

A比劫2 対 B官財6,5 BはAの四倍以下で内格

用神取法―扶抑法・内格   格名―内格正官格

Bの正官・偏財が強く忌になる 子は偏財に、卯は正官に通根で忌。

Aの戊己は喜。

< 命式は >

季節は冬! 癸は雪。甲は日干己と強化の干合で三倍の強さであるが、

根卯は、細く短い上に側支の子に冷やされ、冬木でもありあまり元気のない

甲木である。日干己は、劫財(応用力・協調性)戊が側干で双方無根、

戊は山であり、己は裾野と一体化して雪が降り積もっているため、

真っ白な雪山を荒らされる事を嫌がり人間関係では好き嫌いがあるが

(傷官の様な)、自身の徳の為には劫財の協調性で努力をする人。

元気がなくても強化三倍の側干甲木は、日干己土(本人)には怖い

相手であるが、戊山で社会生活を送る為甲木からの尅は軽減される。

結果、将来性(時干)戊と季節そして運周り(逆行)に助けられた人です。

時干喜の劫財の将来性に助けられ運が良い人は、

良い人との出逢いがありそうした人との付き合いは長きに渡り、

陽干将来性の劫財は経験を積む事によって器の大きな人の

可能性があります。出逢う人は、戊の様な人で本人より大物の可能性。

甲木の状態や印星が蔵干にも含まれていない事などから、

思考力の弱さと無根の日干劫財等から、感じたままを即表現は

奇怪な行動性で、良い意味でも悪い意味でも他人を驚かせる事が多く、

良い意味では奇才な食神の様な出方となり、

将来性の戊が経験学習とつなげて行くます。

 

< 大運・逆行 >

98 88   78   68   58 48 38 28  18 08  

✓ ✓ ▲ 〇 〇 〇 〇 △ ✓ ✓

甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬    →(年運)壬癸甲乙丙

官 殺 印 倒 劫 比 傷 食 財 才   ←大運天干の通変星

寅  辰 巳 午 未 申 酉 戌    →(年運)丁戊己庚辛

✓ ✓ ✓ △ 〇 ▲ ✓ 〇 △ ✓

  解     子     卯 解     ←冲・合する命式の地支

                       (解=解冲解合)

< 大運は >

幼少の頃は言葉が遅かった様子。      

〇8歳からの癸運は、時干戊を合去、表現は少なくぎこちないと推定。

〇13歳亥運は、年干忌の癸財を強め忌運、高校時代は虐めっ子の脅しで

利益団体に迷惑をかけ、損害賠償を請求され両親が多大な負債を負った。

〇18歳壬運は、月令は癸(陰干)忌財三倍運だが時干無根の戊が頑張りを

見せるが、かなりきつい下積み生活。多くの出逢いがある。

8歳から22歳迄の十五年間は、生命の危機があってもおかしくない

時期だが、23歳からは長期間喜運に恵まれ時干の戊に救われている事から

そこまでは至らなかったと考える。

戊の救いとは、本人にとってはヒローの様な人で困った時に現れ

救いの手を差し伸べてくれる様な人でもある。

〇23歳戌運は、酉辰の冲を解きABどちらも2ずつ強め△、

土も木も元気になりきつい時期だが、思考力の強まりと共に結果は悪くない。

〇28歳辛運は、辛は無根、憎き甲木に刃を向けるには力不足だが、

戊が辛を生助、甲をキャンパスに辛を鉛筆・筆変わりに生きた証を残す

希望が生まれ、絵を描き始め高い評価を受け本格的に絵の道へと。

〇33歳酉運は、卯と冲甲を弱め喜運。

〇38歳庚運は、無根ではあるが、直接地位獲得を狙い

(甲木を庚(鉈)で切る努力)タレント活動を開始。

〇43歳申運は、忌財癸を強め忌運だが、10年運の庚を助け、

喜運にはさまれてそう悪くは無いが、ストレス解消の為浪費傾向。

〇53歳からの未運は、土と木を強め△だが、土と甲は還流で木尅土で

この命では土には不利、努力の割には成果は上がらず。

本年は56歳、暫くやめていた絵画を再会、評価を受ける。

                                                       f:id:sihoin:20190715142536j:plain

 < 今後は >

戊・午・丁と大運は進み、

〇戊運はの年干癸を合去、過去の活動が評価され借財は解消の可能性。

〇午は月令の根源である忌の子を冲で喜運、思わぬ収入の予測。

〇丁運は、甲木を洩気で弱め喜運だが、甲は湿木で燃え難く

思い通りに行かず無理を強いられるが、結果は土を強めて良い時期。

〇巳運は、閑支で△。年干の庚辛を強める。

〇丙運は、Aグループで喜の印綬で無根の冬の太陽、甲木を逆生、

癸の雪を溶かす作用としては弱いが、年齢は78歳、事象としては

「無駄な悪足掻き」で無理が推定できる。

〇83歳の辰運は、水木土を強め忌運、命式は強めまり土の上質になるが、

カリスマ性が消えあれこれと思考はめぐらせても、

本能的な持ち前がなくなる可能性。

大運は大きな流れと、説明を要するほどの良し悪しは大事にしていますが、

事象の説明の方が大事な時が多く、鑑定書では書き洩れがない様に

何時も気を配っています。

〇93歳卯運は、辰酉の支合を解き三支とも作用する、

土を1、甲癸を3強め忌運、

※己土に取って戊山の喜の劫財は、強い味方で、この命式は単純に見えて

複雑です。雪山は人見知りの「傷官」を見せ、

根なしの日干劫とは甲の関係で「食神」の様子を見せ、

戊劫財から甲は「偏官・殺」の様子など(まだまだ有り)見せ、

情を感じさせ複雑性をたっぷり備えた命式です。

 

< 酉辰の支合は内助の功を示す >

例えば辰が支合でなく、作用して水木土を強めて元気であれば、

奇才やカリスマ性はなくごく普通の人の筈で、辰を無作用にする酉、

伴侶は「奇才・カリスマ性を守る内助の功、気遣いが出来る」の人。

日支の支合が解け忌運は夫婦間に問題が生じる時期で年齢的にみて健康面。

こうした時期は何時の時であっても留意の時期となる。

伴侶とは辛(食神)運に結婚しています。

 

( 最後に )

 占術家はよく「良い命式・悪い命式」を言いますが、

占術家を目指していない私は「そこんとこが全く持って解らん!」

でございます。

この命は魅力的な命式だと思う反面、

そう思う人は多分少ないだろうとも思っています。

 今回は内助の功と、日支の冲や支合で見る夫婦での

調候に触れてみました。「病は地支にて重く」の言葉がある様に、

地支運での現象は軽い事ばかりでは無く、

依頼者には伝える必要がある時期が誰にもあります。

 

( 参考文献 )

 平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」「神峰干支体象詩」

「子平学・四柱推命法深書」「秘本・子平廣論」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/09/09)

 

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平岡滴宝訳 神峰干支体象詩、十二支咏(午)を読む 

 「午宮詩」を書きたいと考えた訳は、十二支咏の基本的な判断の仕方などが

示されていたからです。途中で「子詩」でも十二支の解釈方法があった事を

思い出し順番が違った事で後悔をしましたが、ツイートで「午」を書きます

と宣言したからには前に進むしかありませんでした。

又、気が向いた時期に「子詩」書きたいと思います。

本文は原文に次いで、語訳、直訳、意訳、補注の順に進んでいますが、

今回のブログでは、語訳の一部分と意訳は抜粋して書いています。(和珞)

子平学 四柱推命 運命学

 

< 午宮詩日 >

五月炎炎火正升  六陽氣遂一陰生

庚金失位身無用  己土歸垣祿有成

申子齊来能戰尅  戌寅同見越光明

東南正是身強地  西北体囚巳喪形

十二支咏の月は旧暦(陰暦)にあたり、午宮詩の五月は

 新暦(陽暦)では六月になります。他の十二支も同様です。

 

< 誤訳  >

六陽=六つの陽支   一陰=丁 

帰垣=格方局の土支が月令に落着く事。ここでは未の当令。

光明=丁火の強さ

 

< 直訳 >

 五月に当たる午の火は、炎が天にのぼるようです。そして丙

の余気は終って蔵干は丁に移ります。

 もし庚金が弱ければ、庚は非常にいためられ使いようがありませんし、

己の土が未の月令に旺じていたりして強ければ、己の土は活かされます

 申、子がともにある命式では、火金水での激しい尅の状態が

起りやすくなります。又戌や寅がそろっていますと火局になりますから、

午は非常に強くなりますし、東南の行運も強くなる時です。

しかし西北の行運では、午は非常に弱くなります。

 

 (意訳より)

庚は使いようが無いとは、用神として。

己土が生かされるとは、護丁として。

 

< 補注 >

同じ一支でも、位置又は配合や季節、更に行運によって強さが異なる

事を言っています。これは午だけではなく他の地支も同様です。

原文は地支同志の関係だけでなく、干と支、干と干を含めて論じ、

その結果を支で言っています。常に全体を想定していると言うことです。

1支は午の強さは月支が一番ですが、火局や方局で一段と強くなるのは

地支の中では午だけで、寅や戌は午を助けている事になります。

地支に午は多くを好みません。特に内格では他の地支も同様です。

申にはさまれた午は少々弱くなりますし、午にはさまれた申も

暗尅を受けます。又子や亥は側支になっていない方が無難です。

午の強さは季節的にも当然月支の午が一番ですが、

普通の強さの午とは春又は秋生まれの日支が基準です。

                                                            f:id:sihoin:20200831192445j:plain

 < 和珞のもっと追補 >

午月は六月で、暦の上では真夏 時間は11時より午後12時59分迄です。

子とは冲、未とは支合、丑とは害の関係になります。

 

( 上記の補注をより補足、同番号の説明になります。)

配合の強さとは、位置での強さの順は、月支(季節)が一番強く、

次に日支 三番目は40歳までは年支 それ以降は時支の順になります。

行運によっての強さは、月令(月支蔵干)が陰干で行運が同気の陽干の場合、

行運は三倍の強さに、月令、行運が同気で陽干同志なら行運は二倍の強さに、

陰干に場合は月令が同気ならいずれも1,5倍の強さになります。

命式の天干も同様です。

常に全体を想定してとは、

この様な専門書を読む場合私は、幾つもの命式を思い描きます

まず文が提示した命式を、又は地支蔵干と同じ天干を年・月・日・時と

透干場所を変えたり、側干の天干や側支の地支をあれこれと変え、

性格や大運の流れ等を想像し色々と考えて見ます。

専門書はいったい何が言いたいのか等も考えたりしますから、

一文を理解するのにかなりの時間を要す事は稀ではありません。

又、元亨利貞での六親の関係などの推命ができます。

火の方局=巳午未  火の三合会局=午寅戌 

午は火の専支で方局、会局どちらにも含まれています。

午詩は「一陰生」を言い、陽支でありながら特に丁火を強め

月支午の月令は丁(体陽用陰)。

方局の内巳は火と金を強めますが、特に丙庚を強める。

     ※丙で庚を弱める役目

未は、特に己乙丁を強める。

     ※乙を洩気で丁を強め 己は護丁で丁を守る働き。

会局の内寅は特に甲丙を強め、戌は戊丁辛を強める。

     寅の蔵干甲は洩気で丁を強める。

     ※戌は護丁で丁を守るが、蔵干中丁は辛を尅で弱める。

     午は蔵干丁は戌との関係で、

      結果的に土を強めることがあっても、

      燥土で物を育成できる程の、良質の土ではありません。

 

地支同志で質を高める事があっても、基本、地支が地支を強める

 事は決してありません。蔵干の同気命式の天干や、

 行運での天干を強める事が可能となります。

②の論も含まれています。

命式中、同じ地支の多くを好みません

午午は自刑に当たり、酉酉、亥亥、辰辰も同様です。

自刑の象意は、落ち着きがない、慌て者等で災いに合い

易いなどですが、古人も「悪い事ばかりでは無い」と仰っています。

現在の師によりますと「俊敏」に使えるとの事で経験としては

同じ意味で、目敏い気働きなど命式によって色々と

使える事は確かで、御検証頂ければと思います。

 

 午ならでの刑は、月支と日支では、その性格は小賢しさが顕著で、

自身の利益に走りがちその手段は時にあからさまで、

人に見透かされやすく、自身では当たり前の事も他人から見れば

異様に映る事があり、評判や信用を失う事が多々有ります。

その利も対人関係の中で発生するものですから、

運では却って全てを失う事もあり、

それが何時なのか損害の大小など大運で推命できます

又、調子の乗りすぎに気をつければ、古い事から脱却の速さ、

斬新なアイデアや閃きで活躍出来る可能性があります。

短所を抑え込む方法ではなく、持ち前を活かす事は本人にとって

一番楽な道ではないかと思います。

 

(申にはさまれた午は少々弱くなる。)

申の主な蔵干は庚壬 午の丁、壬丁の暗尅 

(午にはさまれた申も暗尅を受けます。)

両側の蔵干丁から庚への暗尅。

(又子や亥は側支になっていない方が無難です。)

子の蔵干癸や亥の壬との激や尅の関係。

午詩は言います。「申子齊来能戰尅」と 

直訳:申、子がともにある命式では、火金水での激しい尅の

状態が起りやすくなります。と

これらの、命式の想定と元亨利貞から見る六親の関係の推命にも

非常に役立ち、う~と唸るように絵が頭に浮かばない命式は、

地支の関係を推命する事で助けられます。

命式中午としての良し悪しや、日支では配偶者、年支では親、

月支では兄弟・仕事仲間、時支では子供、年支と月支では親と社会環境、

日支と時支では配偶者と子供の関係など、多くを推命する事が可能です。

 

午は火の専支と子は水の専支は、相性は悪い方ですが、

地支だけの話になりますが次の様な例はでは、子は良い役目をします。

水の天干無く、他の蔵干と同じ天干が透干していると想定

※(蔵干)  年支寅(甲) 月支午(丁) 日支戊(戌) 時支子(癸)

私の推命法として、丁を通常護丁する土は、壬との関係で

戊を真干として見ることが多く、

経験では、戊は山崩れの時が怖い時になり、壬運がそれに当たりますが、

山崩れが起きやすい戊に燥土が含まれ、戌の戊は燥土で戌の側支の子(癸)は、

戌を湿らし癸の透干より良い働きで山崩れへの抵抗が出るでしょう。

又滴宝先生は著書で「水の透干が無く火局となっていても、

1支の水支は子(子供)なしの心配は無い」と。

 

様々な論の例外を考えることは、宝物を見つける様な楽しさがあります。

まだまだ「午詩」については書き足りない事は沢山ありますが、

今回はこれまで、又何時の日か「午詩」書きたいと思います

 

sihoin-waraku.hateblo.jp

 

 

( ブログの参考文献 ) 

平岡滴宝訳 「神峰通考・干支体象詩」「新訳滴天髄」 

平岡滴宝著 「子平学・四柱推命法深書」「子平廣論」

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/08/31)

 

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子峰院 和珞の鑑定例No95

 この命式は内格でも食神制殺で、日干を弱める同グループでありながら

食神と偏官(殺)が喜と忌に分かれています。

 この様な食神制殺や傷官見官(傷官と正官)の命式は、喜忌のつけ方が

難しい命式になります。基本は日干比劫の強さですが・・ 

 

< 命式・男性 >   1964年生まれ

 時 日 月 年    干合・冲・支合なし 

 食   殺 劫    月支未・月令己 季節夏から秋の変わり目

 丁ィ乙ィ辛キ 甲ィ   乙甲2干3支(5)

 丑キ 亥ィ未ィ辰ィ   丁1干1支(2)

 己 壬 己△戊    辛1干1支(2)

 

A日劫5 対 B食殺4  AとBの差が少ない命式

用神取法は扶抑法(内格) 格名は内格食神 

< 命式の喜忌につい >

Aが強く忌、Bが弱く喜となる筈が

日干・劫財は強く忌 それを尅し調節する辛殺は喜 

喜の辛殺を尅す丁は忌となる。

忌の甲乙丁に通根(還流)する未は忌(最も悪い)。 

忌の甲乙に通根する辰亥は忌。喜の辛だけに通根する丑は喜。

 

< 命式と性格など >

 月支は未 月令は己、夏も終わりに近い頃 唯一月干の喜の辛殺(偏官)は、

甲からは逆尅、丁からは制に合い弱った辛で日干乙への制御は効いていない。

(乙と辛との干関係は悪い)

日干乙は水支2支・火支1支を根に持ち元気な乙。

劫財甲の透干あって社会生活では甲の様に過ごし確り者に見えるが、

私生活や甘えられる人の前では乙で愛嬌よく、表現は豊かで甘えや言い訳上手、

辛や丁の側干で内心は臆病。日干は根を3支もって普段は大人しいが、

燃料は乙の他甲や3支あって丁は強く、日干劫は強く丁傷官は気性が激しくなり

月干辛を尅す様子は、激しさは社会へと向けられる。

二面・三面の人格を持ち人格は、その時々で豹変し時に暴力を振るう行動となる。

又臆病と言う気弱な性格は、運が悪い時は自傷の可能性がある。

財の透干無く月令の己財は少なく、運で財(戊己)巡れば忌(喜忌変遷)で強く,

宵越しの金を持たないタイプ。劫財甲の透干忌で強く群劫財奪、間違えば・・・

又借財も当然の如く恐れない。

 

強い忌の日干を尅す喜の偏官は適当な強さがあって、一見良く見えますが

 折角の喜の偏官を尅す忌の丁食の働きは悪く、

 滴天髄は清濁論の「濁」に当ると思います。

 

(天干運でのポイント)

忌の干を強めたり喜の干を弱める時は忌運。

喜の干を強めたり忌の干を弱める時期は喜運。

〇14歳癸偏印はAで忌、丁を弱めるが丁とは激の関係でもあり

傾向はあまり良くない。

〇24・34歳甲乙運は、忌の日干劫や丁も強め忌運、特に甲運は気性激しく、

金遣いも荒くなるり。トラブルが多くなり非常に厳しい時期の可能性。

〇44歳丙運は、命中天干では唯一の喜の月干を合去する丙運は最も悪く忌運。

社会性を失う事象で気性の激しさ共に人並み外れた禍の可能性。

〇64歳戊運は、月令に強められ三倍辰未丑6で喜忌変遷忌運。

〇74歳己運は、年干甲と化土、甲は戊に変化、月令は陰干己 

天干は4,5と3支で戊己は7,5の強さ喜忌変遷運となり忌運

〇64・74歳土の重畳の時期には、体の動きは不自由になり

医療費等で出費の可能性。

 

(地支運のポイント)

〇59歳丑運は、忌の木火を強める未と冲で最も良い時期の筈が

大運の流れからは期待は薄い

〇79歳卯運は、木の方局揃い最も悪い時期 

 

キ=喜=〇 イ=忌=✓ ×=忌=最も悪い時期

< 大運・順行 >

94   84 74  64 54  44 34 24 14  04

〇 △ ×  ✓ ✓ ×  ✓ ✓ ✓ ◎  

辛 庚  戊 丁 丙 乙 甲 癸 壬   ←(年運)丁戊己庚辛

殺 官 才 財 食 傷 比 劫 倒 印   ←大運天干の通変星

巳 辰  寅  子 亥 戌 酉 申   ←(年運)壬癸甲乙丙 

〇 ✓ ×  〇 〇  × ✓ 〇 〇 〇

亥       亥 未  丑   辰 辰      ←冲・合する命式の地支

 

 この方は郷里の友人の紹介。本人から叔母にあたる方から、

44歳を過ぎて間もない頃だったと思います。

「現在と比べ将来はどうなのか」と言うくらいの依頼でした。

命式や大運から事情を察して出たままを少し軽減して鑑定書を書きましたが、

将来は現状より悪くなる事は確り伝える内容となりました。

後日叔母さまより丁寧なお手紙をいただきました。

高校卒業と同時に(酉運)公務員になり、

戌運で独立事業を起こしますがトラブルで失敗。借財が嵩み破産、

車上生活をするが相次ぐトラブルで障害事件、身体を痛め障害者となり、

自殺未遂を繰り返し精神障害者にもなったそうでした。

結婚は2回、1回目は酉子供一人 時支丑は喜良い子が生まれているはずです。

甲で離婚 戌で再婚 丙でトラブル離婚

あまりに鑑定内容が合致していたからと連絡を頂きました。

その後直ぐに、二の足を踏んでいた福祉に任せる手続きを行い、

御本人は医療施設入りしたそうでした。

                  f:id:sihoin:20191211092230j:plain

( 最後に )

滴宝先生は著書で、強い忌の日干は官星で尅すよりも、

食傷で洩気の方法を取れば素直になって良い。と書いてましたが

推命仲間は「では乙を丁で洩気すればどうなる?」と言った事を思い出します。

しかし滴宝先生も自身の虎の巻には「激しさが伺える」と書いています。

子平学には全ての論に例外が沢山あります。

この命で激しさの原因はもう一つ、甲の透干です。

傷官見官 食神制殺の命式には何時も苦労をさせられます。

この命式天干の喜忌だけは師に確認を頂いての推命になりました。

私の場合鑑定は知り合いやその方々からの紹介になりますので、

ほとんど推命のその後が追尾確認出来ます。

この方は今年56歳、友達の話によれば良い兆しは一つも無いとの事です。

 

このブログは、簡単明瞭をモットーにしてテキスト目的ではありません。

説明不足な点が多々ありテキストしては不適切です。御了承ください。

 

 

( 参考文献 )

 平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」「神峰干支体象詩」

「子平学・四柱推命法深書」「秘本・子平廣論」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/08/22)

 

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子峰院 和珞の鑑定例No94

 この方は、昭和の始めから終わり頃までの半世紀以上に渡りお産婆さん

「今で言う助産師」として活躍された方です。免許を取ると直ぐに独立

数人の女性スタッフを抱えて開業、戦後の30歳後半からは、

ベビーブームの時代を乗り越え、重大責任を果たされました。

貧しい方からは其れなりに、時には無償で妊婦さんを支えました。

出産を諦めようとした人の中には考えを改めて無事出産。

思いがけない妊娠で苦しむ女性の相談、養子縁組の紹介などと、

悩める多くの女性達に尽くしました。

数多くの出産介助は無事故で、極めて稀なる人です。

ある時期には、国際的な賞の候補にも上りました。

( 子平学・四柱推命・運命学 )

 

< 命式・女性 >   1912(大正元年)年生まれ

時 日 月 年     生月1月 月令-己 季節-冬

印 比 殺 殺     丑未午―解冲解合

壬ィ乙ィ辛キ 辛キ     乙1干2支 (3)

午△未ィ丑△亥ィ    壬1干2支 (3)

丁 己 己ィ壬     辛2干1支 (3)

A印比6 対 B偏官3 格名=内格・偏官格

体は乙 扶抑用神は辛

(命式の喜忌は)Aとは、日干比劫印 Bとは、児財官

〇Aが強く乙壬が忌 それに通根する亥未は忌

〇Bが弱く、辛は喜、丑は辛と壬に通根で△ 午は閑支で△

 

< 命式は >

壬は湖・海  乙は草花  辛は2干乙の側干でもあり鋏

〇辛の鋏と日干(本人)乙草の関係は最も悪く、乙に取って2干1支の

辛は怖い相手。

〇乙と壬との関係は,戊の透干無くで漂浮草(辛からの抵抗力)

辛からの強い干渉を受け苦労人ではあるが、それを浮漂で上手く交し

要領良く、辛殺を怖がらず、度胸あって怖いもの知らず

加えて自身を目立たせる行動が多い人

〇乙壬亥午=闇夜の浮く乙に、微かな行燈の光(午、蔵干丁)が、

足元を照らす様子で「追水桃花」男性の気を引く魅力の持ち主

〇辛殺⇔壬印 洗金で大きな望みの持ち主 「金多ければ水却って濁る」

と言われ濁水で 野望があって野心家、地位、名誉共に欲しい人

諦め悪く我慢強く、自身を実力以上に過信して無理をしがち。

〇月令は己の偏財、財欲強く無理のし過ぎ傾向

〇辛殺から 浮漂で素早く逃げる俊敏さ、辛の鋏で紙(乙)を切るような

速さの俊敏、俊敏でせっかち、動く事が好きで働き者。

〇辛殺に汚れなく、喜で嫌味無く強さ的にも、下の人や弱者に優しい人。

〇この様な性格の人は、忌運長引けば人に甘く見られ、

他人から迷惑をかけられたり、騙される事が多くなる。

自身を良く見せる必要の無い人には、きつくなれる性格ですが、

対称者は少なく息子の伴侶ぐらいでしょう。

息子は一人、既婚者で伴侶は苦労された事でしょう。

(もう一度命式)

時 日 月 年     

印 比 殺 殺     

壬ィ乙ィ辛キ 辛キ     

午△未ィ丑△亥ィ     

丁 己 己ィ壬 

 

< 大運 順行 >

95 85 75 65 55 45 35 25 15 05

〇 〇 ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓

辛 庚  戊  丙 乙 甲 癸 壬   →(年運)丙丁戊己庚

殺 官 才 財 食 傷 比 劫 倒 印   ←天干運の通変星

亥 戌 酉 申 未 午 巳 辰 卯 寅   →(年運)辛壬癸甲乙

✓ △ 〇 ✓   〇 ✓ ✓ 〇  

        丑 未 亥     亥  ←冲・支合の命式の地支

 

壬は忌、しかし日干(本人)乙に取って側干の辛は怖い存在で、

仮に壬の透干が無ければ、身弱傾向で助産師の様な仕事は無理でしょう。

浮き漂い辛から逃げる事によって出来た仕事と言えます。

ですから壬水の変化が少ない時期は、忌運であっても苦労を苦労とも

感じること無く、元気で働けストレスも少ない時期となります。

(壬の印綬は忌であっても、良い働きの為、賢い人です。)

 

< 大運の喜忌の取り方 >

〇命式喜の干を強めたり、忌の干を弱める時期は喜運。

〇喜の干を弱めたり、忌の干を強める時期は忌運。

〇忌の地支を、冲・支合で無作用とする時期は喜運。

〇喜の地支を、冲・支合で無作用とする時期は忌運。

〇丙は、年干喜の辛を合去で忌運 養母を亡くす。

※喜忌変遷や破格となる時期は、命式は大きく変動忌運となる。

 

< 大運の喜忌の取り方とポイント >

ポイトとなる時期は、丁運、未運、未運、戊運、己運があります。

ここでは丁運と未運の説明をします。

〇丁は、時干壬を合去 日干1干2支(3) 偏官(殺)2干1支(3)と

日干3 対 殺3 と両神成象格となり、

この場合は強い方が忌の干になります。よって辛が忌となり、

喜忌変遷で忌運。日干乙は浮けず、直接辛に尅され地位・財的支障が

起きる調候とストレスの運となります。

〇未運は、月支丑と冲、日支未と時支午は支合となり、

命式の地支は乙壬を強める亥のみが残り忌運。

 

 

< 大運と現実事象 > 

〇5歳からの壬運は 浮きが進む運で忌運、兄弟姉妹が多く農家の末っ子、  

子供のいない叔母の家に幼女に出される。

〇15歳から24歳の癸・卯運の忌運は、軍医である義父から勧められ

産婆(現在の助産師)の資格を取る。ある出逢いによって子供に恵まれるが、

私生児として育て苦労の始まりとなるが、義理の両親の助けによって

助産院を開業。

〇33歳辰運で第二次大戦開戦、38歳終戦でした。「産めよ増やせよ」と

忙しい時期でした。戦後もベビーブーム等と言われて忙しさが続きます。

日本はまだまだ貧しい時代、物資も足りない中での出産は、

一人で判断、一人で分娩介助を行いました。

〇50歳以降、出産を希望する方達は助産院から産婦人科医へと向かう様になり

仕事は半減したそうですが、男性医師よりは女性の助産院を望む人も

少なくなく数人のスタッフと本人の生活には困る事は無かったそうです。

75歳からの己運は僅かながら喜忌変遷、壬水は己土の強さの関係で泥流、

壬の流れは滞り乙は己土に根をおろそうと、辛からの尅を受けます。

辛は壬と丑の還流で泥土を浴びて酷い汚れとなります。

この様な時は年齢的には、あらゆる病気の可能性、

現実では転移性でない複数の臓器の癌を患い、

年運は己、78歳で亡くなられました。

※晩年にこの様な忌財運巡り人の多くは、財産を残さないのが通常です。

この方は、働き盛りかなり稼いだ筈ですが、経済面でも最後は御子息に

頼ったそうです。

この命は壬水次第と書きました。「それなら用神は印綬の壬では?」と

考えた人は凄い!しかし、月干(辛)社会環境の人達の、厳しい要求や、

年干(辛)父親の要求に応え続け、一つの仕事を全うした事は、

用神は辛の偏官で間違いありません。

そして喜の偏官の性格の一つに「下の者に優しい」があります。

 

< 適職について >

 子供達を質の合った職業に就かせた経験から、子平学で素質を見抜く事に

力を入れています。特に適職に就く事は人生に取って有意義な事です。

この命も辛のメスを嫌がらないと言う点では、医療系は適職です。

又地支には午(蔵干丁)、月令は己土の釜戸が弱いながらあって、壬や乙(素材)

や辛の刃物などがあり、料理人でも良いでしょう。

この方も栄養士の免許をお持ちです。命としては薄味です。

又追水桃花で、芸事にも興味を示す筈です。

この方も日舞は師範級だったそうです。御参考にして頂ければと思います。

命式は、多才の類に入ります。

 

 

< 最後に >

スタッフは皆女性、戦争で伴侶を失い子供を抱えた人も数人住み込みで働き、

子供を大学まで通わせたスタッフも長い期間の内には,

多くおられたようでした。

〇上記の通り、55歳頃より壬水に影響を及ぼした上に喜忌変遷忌運が

続きました。無理を重ね年齢的な事もあって足腰の衰え等から

現役から退きますが、離れて行かないスタッフの言いなりで

金の切れ目まで、面倒を見続けたようです。

〇「追水桃花」の命で、異性にはもてますし、本人も興味がある方です。

この方は、息子の父親と後に結婚をし死別しています。

その後遊び相手の可能性はありますが、辛の偏官に汚れなく喜、

本人の地位を脅かす人ではありません、

複数相手はおられたかも知れませんが上手く立ち回った事でしょう。

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( 参考文献 )

 平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」「神峰干支体象詩」

「子平学・四柱推命法深書」「秘本・子平廣論」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/07/29)

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