生地、庫地皆福は、為福・非福が面白いとは?

, この話しは中国の「淮南子 人間句」に書かれている故事で、

日本では「人間万事が塞翁が馬」と言うことわざにもなって有名な話です。

中国では「塞翁失馬」として語り継がれています。話しの内容から「塞翁が馬」

より「塞翁失馬」の方が題名としっくりします事から

「塞翁失馬」として書きました。

 

< 塞翁失馬 焉知非福 >

 北の地 異民族との国境近くに、馬の飼育をしながら占いをする

男がいました。

ある日彼が大事に飼っていた馬が、国境を超え逃げてしまいました。

国境を越え探しに行く事もできない男に周りの者達は皆、

同情の言葉をかけましたが、男は無愛想に「不幸とは限らない」と答えました。  

 ある日逃げた馬は、異民族の地より馬を数頭連れて戻って来ました

(馬は群れる習性があり)。国境より北の土地は、山が多く坂や石垣のも多い

土地でしたから、そこに群れをなして住む馬たちは足腰が丈夫で、

走る事も速い馬でしたが、人には慣れ難く気性の荒い馬達でした。

上手く育てれば「駿馬」と呼ばれる良い馬に育つだろうと人々は思いました。

回りの人達は「二重、三重の幸運ですね。」と男に喜びの声をかけましたが、

男は又「どうだろうかね、そうとばかりは思えませんが」と答えました。

周囲の者達は皆、偏屈な男だと思いました。

 国境を越えて来た懐かない馬は、月日の経過と共に薄紙をはがすように

少しずつ男やその息子に慣れていきました。

背に乗ってもあまり嫌がらないようにもなったある

日、息子は馬に乗り思い切り馬の腹を蹴り走らせましたが 

その速度を調節できずに馬から落ちて足の骨を折ってしまい 

歩く事が少し不自由になってしまいました。

周りの者は気の毒に思い男の元へお見舞いに行きました。

「お気の毒でしたね」と見舞いの言葉を欠けましたが、又もや男は、

「いや、いやそれはどうかね。そうは思えんませんけど」

と素直とは思われない言葉でした。

しかし皆は以前の事もあり「そんなものかな~」と思ったりもしたものでした。   

元々隣 北の異民族とは険悪だった為 とうとう戦争をする事になり

検疫が始まり 息子も検疫を受けなければなりませんでした。

足が悪かった息子は検疫を免れ戦いに行かずに済んだそうです。

その戦いでは多くの若者達が亡くなりましたが、

二人はその後も長く元気に暮らしたそうです。

 

< 解釈について >

読んだ人によって解釈は異なる事と思い、あえて書きません。      

仕事上 いつも基本にしていることは、「1つの運や性格の内容には、

良い事 悪い事柄が含まれ、それを確り見極め伝える事」を重要視しています。

それと通じるところがあると思いました。

それ以外にも多くの事を考えさせられる話しでもありました。

しかし 正直この話を知りませんでした。出逢えた事に感謝です。

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 < この話しを書く切っ掛けについて >

「方になりて千に一元神透れば、生地、庫地皆福にあらず

局に成りて干に一官星透れば、左辺に右辺に碌々としてむなし。」

 この文は劉伯温氏の滴天髄、方局論終わりの文です。

新訳滴天髄では、平岡滴宝先生は解説で「生地庫地の処、

楽吾氏と耀文氏は為福と言い、任氏と素庵氏は、非福とあって面白い」

と書いています。「面白い」先生は何がそんなに面白いのか、

今頃になって興味が湧いてきました。

そんな面白い話をなら、もっと教えてくれれば良かったのに、

とも思いましが今さらです。 

それで調べてみました。

為福は、「転禍為福」=災い転じて福となす。

非福は、「塞翁失馬 焉知非福」この言葉が出ましたので、教え子でもある、

十八史略三国志などが好きな三十代の男性に「さいおうしつば、がね」

と切り出せば、待っていましたとばかり話をしてくれました。           

中国北の地方の土地柄や、野生の馬を飼いならす仕事があり 

その馬を移動手段や戦いに使う事や、昔 中国の占術者は、

占術を成り合いにしている人は少なく、

本業を持ちながら占いをしていた人が多かったそうです。

土地柄でそこに住む馬の特徴の違い等も含め、

詳しい話を聞く事ができ参考にさせて頂きました。

「翁」の字も、内容の経過から、おきなやおじいさんと訳さなくても良いそうで、

「長老のように、人生を知り尽くした様な人で良いのでは?」

と話してくれました。

 

小学館 慣用 ことわざ辞典より)                      

〇塞翁が馬とは、人生では災いがいつ福の因になるかわからず、

また福がいつ災いの因になるかわからないということ。

吉凶禍福の転変は廻り知れず、

禍も悲しむにあたらず、福も喜ぶにたりないことをいう。         

※類句―禍福は糾う縄の如し。

今回は頭休めをいたしました。お目汚しでしたでしょう。

お付き合いに感謝いたします。

 

( 子峰院 関都佺人・和珞 2019/09/28 深夜にて )

 

参考文献  平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」

 

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