和珞と子平学・四柱推命 №6(彼の身の上話 №2)

< 天干体象について >

 天干体象とは、自然界と十天干の基本的な対比 即ち干関係を言います。

 

子平学・四柱推命法深書の中で平岡滴宝先生は

「四柱八字の命式は、四天干の旺衰強弱や天干の並び方の他に、体象としての

関係がわかってこそ、初めて喜や忌によっての通変星の意味の出方がわかり

体質もよめるのです。」と言っております。

 

 この業界でも良いと称される命式が沢山あります。壬での体象で言えば

丙と壬―江睴相映   壬と甲―水中柳影  壬と辛―陶洗珠玉、等があり

多くは、良い命式と言われもてはやされているのが現状では無いでしょうか。

しかし推命してみれば一目瞭然、世の中にパッーと花咲く如く恵まれている

命式は少ないものです。良い命式になるには厳しい条件があります。

上記三例とも汚れがあれば良い命式とは言えません。丙と壬では夏の丙が

強ければ壬は枯れる様に弱くなり、良い現象とは言い切れません。

その条件はまだ多数ありますが、今後の鑑定例で御紹介出来ると思います。

 

 正月も過ぎたというのに、そろそろブログを書こうと試みれば、

なんと言う事でしょうか、何も思いつきません。老いての鈍らは頭を想像以上

に鈍らせるものです。それでも新年からは面白い命式に出くわしましたが、

ブログにするには時期尚早、いずれブログにしたいと思う命式が数件ありました。

 

昨年の暮れ、良い思い出を頂きました。それをブログにしたためます。

 

< 彼の身の上話2 >

 30歳の前半の頃、彼が仕事を終え帰宅、両親と共にするまだ新しい住居の

二階の部屋から妻と4歳の娘、そして8ヶ月の息子の姿がありませんでした。

一階で住まいをしている両親に尋ねれば驚いて「知らない」

と返事が返ってきました。

両親と再び二階へ向かいえばテーブルの上に「実家に帰ります。連絡はいずれ

させて頂きます」と置手紙が有りました。

後日の話し合いでは、離婚の申し入れを黙って受け入れました。彼の両親、    

父親は、昇進なしの工場勤め、母親はスーパーの深夜の値付けや品出し

特に母親は、割り引かれたお惣菜やご飯を、尚交渉の末貰うようにして家計を

切り盛り、よく職場の仲間達の間では噂話に乗るくらい恥ずかしい思いをして

家計を支えるだけでなく、妹さんや本人が結婚の時には家を新築してくれた

そうです。彼はその新しい家を二世帯住宅として使い、両親とは全く係わらずに

済む生活でしたが「やはり何かと嫁の方は難しく考えたようでしたが、俺は苦労の

多かった両親を悪く言ったりして、見捨てる事は出来ませんでした。」と

娘は可愛い盛りで、お喋り好きで活発、音楽に乗ってダンスをしたり、

行き始めた幼稚園、朝は妻の自転車の後ろに乗って見送れば笑顔で手を振って

くれました。息子はまだ乳離れが出来てなくて妻のおっぱいにしがみつき、俺の

方を向いて「どうだ」と言った風に目が笑っていました。

「俺におっぱいがあったらな~」と天上見上げ話してくれました。

彼は注文より多い額の養育費を、子供達の為に払い続けました。

元妻、彼女の実家は隣の市であった為、運動会の噂を聞けば出かけ陰に隠れて

子供達の姿を追っかけたそうです。ある時期からは運動会には許可のある身内

だけしか校内に入れなくなりましたが、それでも校庭外の見える場所を知って

いたので遠くから見学、どんなに小さい姿であっても自分の子供を捜し当てる

事ができました。

娘が中学校に上がった最初の運動会の頃、郵便受けに

「運動会には、私の名前を言って父ですと受け付けで言って下さい。

堂々と見学できます。弟の学校にも言っておきます。

追伸、弟が卒業まで、どの学校にも手配して置きます。頑張れチチ!」

と綺麗な封筒に、これも又綺麗な便箋に書かれた手紙が入っていました。

娘さんからの手紙でした。彼は次の運動会からは二人の姿を心置きなく、

追っかけ続ける事が出来ました。

それから直ぐの正月、元妻からの年賀状には「再婚します」

毎年の年賀状は、新年の挨拶が印刷されただけのものでしたが

送ってくれていました。その年は「再婚」の字が添えられていました。

離婚相手が再婚すれば養育費は払う必要がなくなりますが、彼は子供の為に

子供の成長を測り増額をしても、養育費を中止する事は有りませんでした。

彼は、子供達が最終学校を卒業するまでは、と決めていましたから。

父親は離婚して直ぐに亡くなりましたが、母親はそれから十年以上生活を共に

してくれて多少痴呆がっかてはいましたが長期入院などする事はなく、

亡くなるまでは比較的子供達に世話をかける事無く忌ったそうです。 

子供一筋に生きてくれた母親を失った悲しみは大きかった葬儀の日 式が始まり

読経の中、フッと気がつけば娘さんが横に座ってくれていました。

何事も無事終えた式の後には娘さんの姿は何処とも無くいなくなって

いましたが、帰宅してポストを覗けば娘さんからの手紙がありました。

 

「お父さんご苦労様 淋しくなりましたね。とっても淋しくなったら私と弟を

思い出してね。送金の時にお婆ちゃんが余分にくれた一万円は、

弟と私に五千円ずつ分けてお母さんに貰いました。

それを貯めて高校生になって携帯電話を手に入れました。

いつでも掛けてくれて良いからね。」電話番号も書いてあったそうです。

それから年に一・二度電話を掛け息子さんも声を聞かせて貰ったそうでした。

数年後、新年を迎えようとする丁度クリスマスの頃、仕事を終え自宅の手前

200m辺りから自宅前に若い女性の姿が 暗くて其の姿をはっきり捉える事は

出来ませんでしたが、近所の家々からの灯りで娘さんと確信、それからは早足で

近付くと間違いなく娘さんだったのです。

「父さん、相談とお願いがあるねん」

自宅に招き入れれば、食事を買ってきてくれていて味噌汁を作ってくれ

夕食は、離婚してから始めて食事を共にしました。

聞けば進学したい学校があって「お金が掛るからお母さんがアカンって言うねん」

進学のお金は、おばあちゃんも加勢してくれた物があるから心配しなくても良い

から行きたい学校に行けば良い、と言って帰したそうです。

学校に進学してからは頻繁に、時には弟を連れて遊びに来てくれる様になり、

その内 留守の間に上がり込み掃除や食事の世話をしてくる様になりました。

娘さんは最終学校を卒業 就職、数年後には結婚 そして女のお孫さんにも

恵まれ以前にも増して家族連れで押しかけてくれるようになったそうです。

娘さん夫婦は同居を願い出てくれたそうですが「丁重にお断わりしました。」と

笑いながら語ってくれました。

息子さんは娘さん同様 いえそれ以上で最終学校の時期数年は同居「男の子の

割にはマメでして、軽食ぐらいなら朝飯前、掃除もしてくれました」と

就職が決まり学校を卒業すれば「俺は出て行くわ、オトンも身体には気をつけて

な!」と言って出って行ったそうです。「アイツは要領の良いヤツや~」と

昨年の暮れクリスマスイブの夕方、彼の家の前を自転車で通り掛り、

娘さんとお孫さんらしき人と彼が家の前で遊んでいるのを見かけると

挨拶をしようとする前に、彼がピースの合図を送ってくれました。

私も頷き頷き微笑返し。娘さんの声が聞こえれば「頑張れ!チチ」

あの手紙にあった声が、鮮明になったのは私の気のせいだったのでしょうか?

( お わ り )

 

 

実は、長きに渡り孫子の兵法にはまっております。

家族からは「あんたさんには、兵法は必要おませんがな~」と言われますが

書きます。

 

< 孫子の兵法 >

其の疾(はや)きこと風の如く 其の徐(しず)かなこと林の如く

侵掠(しんりゃく)すること火の如く 動かざること山の如く

知り難きこと陰の如く 動くこと雷震の如し

 

孫子の兵法の一部分です

( 簡単な意味 )

やる時はやる、我慢する時は只じっと耐える、遊ぶ時は一生懸命楽しむと

いった具合に日常の生活行動にメリハリをつける習慣をつければ 

「いざ」と言う時には集中力と瞬発力が沸き、

生活の中で活用出来ると言う話です。

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( 子峰院の出版物 )

平岡滴宝訳  「新訳 滴天髄」 「神峰通考・干支体象詩」

平岡滴宝著  「改訂版・あなたの運命のすべて」

       「子平学・四柱推命法深書」 「秘本・子平廣論」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2022/01/15 )

 

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