印日干比(A)3に対し、児財(B)いずれかが1の場合内・外格の決め方は
難しいと思います。外格の場合は必ず干関係なりのAはBの3倍以上が
必要になり干関係によれば以下の事もある訳です。
この命式は(下記説明)外格であれば、壬財は忌で疵=病の干になり
運では壬を合去する丁が薬となります。丁運は全てにおいて恵まれる時期に
なりますが、こうしたぎりぎりで外格の場合半信半疑、若い頃は推命に
不安が残りましたが、私の場合依頼者の80%程以上の方の鑑定以後を
直接・間接的に追尾して確認、立証を
その後の鑑定依頼に活かす事が出来ると言う安心感があります。
今回も40年以上お付き合いのあった方で「立証」に基づいた鑑定例です。
< 命式・女性 >
時 日 月 年 卯酉―冲 巳申―支合
財 比 倒 月令-辛 季節-秋
壬ィ己キ 己キ 丁キ 己2干0支 (2)
申 巳 酉 卯 丁1干0支 (1)
庚 丁 辛ィ乙 壬1干0支 (1)
A3 対 B1 丁は己を強めAはBの3倍以上と見た
用神取法―専旺法 格名―外格・弱従旺格
< 命式は >
格名は、偏印の透干のある外格従旺、是が非でも自身の思う様に生きたい
タイプの人です。天干は夫々が無根、Aは3 Bは1と干関係によれば内格
の可能性のある命式ですが、丁は比肩を強めAは3プラスαでぎりぎりの外格
よって格名は外格「弱」従旺格としました。
忌の壬財は疵であり忌の病の干となります。
大運ではこの疵の干である壬が弱る時期が良くなりますが、
特に、壬が丁で合去となる時期は最も良くなります。
彼女は昭和2年生まれ、青春時代は大戦真っ只中、時代に翻弄されながら
生きた人です。「大運は」では、現実と大運を比較しながら書いていきます。
< 性格は >
日干と月干比肩の競争心は、比肩の競争相手は年干丁に強められ、
日干(本人)は時間壬の反尅に合って、負けた感=コンプレックスがあり、
努力で良い所まで辿りつきながら、途中で心変わりを見せ実力の
割にはトップに登りつけないもどかしさが残る。
外格弱従旺格だが無根、押しには弱さがあるがそれを隠す為の向う意気の
強さでカバーする為、壬財の干渉心と丁印の賢さの強調は自然と
口数が増すが、いざと言う時の押しの強さは他人との比較では弱さが残る。
< 大運 >
92 82 72 62 52 42 32 22 12 2
〇 〇 ◎ 〇 △ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓
己 戊 丁 丙 乙 甲 癸 壬 辛 庚 →(年運)己庚辛壬癸
比 劫 倒 印 殺 官 才 財 食 傷
未 午 巳 辰 卯 寅 丑 子 亥 戌 →(年運)甲乙丙丁戊
〇 〇 〇 ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓
解 解 解 解
< 大運は >
※格名は、外格「弱」従旺格、Aが1弱まっても変格 Bが1弱まっても
変格となり忌運、この命での破格は度々起り不安定の苦労。
父親は、旧国鉄の設計技師、兄弟・姉妹は多く末っ子、幼少期に父親は
定年を迎え地方の現場から、住居を求めて移動
8歳!大運は戌運、酉卯の冲を解き年運は乙運、年支の卯が動いた年
母親は亡くなる。
20歳大運は亥、巳申の支合を解き年運は丁、日支巳が動いた時期
に結婚。
(日・時支、巳申の支合についての余談)
日支が冲や支合で無作用の場合は「結婚の可能性は難しい」といわれるが、
滴宝先生の読みは・・・続けます。日支巳(伴侶)は、忌財を強める申を支合で
無作用にした結果、伴侶は経済的な面で助ける役割をする人。
又時支の壬との支合は和合、伴侶は子供や孫までの経済的心配りで
計画立てた人だったでしょう。
伴侶の稼ぎの程度は大運や本人の遣い方に掛る。
〇17歳亥運より51歳の寅運まで、甲運以外は忌財の水を強め忌運。
解冲・解合運は同様に破格、そして地支で忌財を強めています。伴侶は
事業の為に高利貸しから多額な借財をして、住居を兼ねた土地家屋を用意
その返済に何十年と苦労を重ねる。時に窃盗被害に合い損害の埋め
合わせに再度の借財と苦労の連続。
特に22歳からの壬運は、丁を合去、苦労の連続は、舅姑による事業
への口出しや住み込み従業員への食事の用意や気苦労の重なり。
( 適質について )
濁壬を墨汁に変え、月令の辛(食神)を筆に変えて毛筆を習い
始めます。偏印の丁は忌の辛(食)を制し、倒食としての力を発揮、忌運
にしても頭角を現し癸運頃からはじめ5年で師範の免許を手にして習字塾
を始める。(毛筆は適質)
偏印と食神の多趣味、お茶やお花の習い事に習字の紙の費用は
彼女の口を借りれば「家を数件買える程お金を使った。」らしいです。
(日干己、忌壬財(濁壬)のお金の使い方)
借財の返済は数十年続いたそうです。
32歳からの癸運は、壬をより強め冲天奔地、交通事故により腰の手術が
数回繰り返され持病へと、日々の牽引が欠かせなくなる。
52歳からの乙運から卯の61歳までは、体力の衰えや下火の事業の不安に
加え迷いが生じる。
最大の目的であった習字の月刊誌の添削・審査員の資格に何度も挑戦して
落選を続けた結果「アドバイスをしてあげた私よりも下手な後輩が資格
を手に出来て私が落ちるなんて」と言って、習字を辞め塾も撤退。
その頃バイブルの時期で都心の土地の値上がりに連れ、持ち主亡き後の
遺産相続の高額税の凄まじさは、相続人を追い詰めた時代でも
有りました。それを免れる為に伴侶名義の土地の売却の口火を切り、
62歳の喜の丙(印綬)運に、事業の廃業と都心にある広い土地の
売却に加え終の棲家の確保に成功収め
国内外の旅行を満喫、楽しんだそうです。
67歳からの卯運は、卯酉の冲を解き破格忌運 69歳伴侶を癌で亡くし
後始末に追われる。「あの人でなかったら私を養えなかった」と・・・伴侶は
かなりの稼ぎのあった人の筈です。
72歳からの丁運は、病=疵の干、壬を合去。伴侶が残した財産を相続
悠々自適の暮らしを、大運は丁72歳からの己運の93歳まで続けました。
内・外格の決め辛い命式でしたが、外格と決まれば壬の病が決まり 推命
し易くなます。この命は現実的にも外格弱従旺、疵=病は壬で間違って
いなかった事を彼女の人生が立証してくれました。
「傷(疵)=病があってこそ貴となす」と言われた先人方もおられる位です。
しかしこの様な人は紛れも無くは苦労人です
92歳からの己は喜運ですが、晩年の土の重畳身の重さは身動きの
不自由で足腰の弱り。
濁壬の濁の強まりは壬水の滞り。93歳年運は良くありませんでした。
勿論、病名は消化器系の癌でしたが老衰と言っても良いでしょう。
60歳以降の老年期の死期の見方は、大運の喜運であっても見る必要性は、
青年期から壮年期迄の見方とは、体力衰えなどの観点からも異なります。
< 体質 >
木気なく肝臓系に弱点ですが、命式での直接的な尅関係なく52歳ごろの
乙運に血液検査で肝炎を言われたが年数回の検査だけで、
生活には支障は無く、通常では濁壬による下痢、忌の壬の膀胱炎は
度々、腎系の弱り数回の入院は生活への支障があったそうです。
( 彼女は、)
滴宝門下で有りましたが「1プラス1は2にならない学問なんて嫌いと」
言って途中でリタイヤした人です。全ての天干は無根、従旺格で有りながら
「弱」精神的には不安定な人ですから、時々依頼を頂きついでに
身の上話をしてくれました。
「その気になって、書く事があったら私の事も書いてくれたら良いいからね」
のお言葉も頂いています。
彼女は「仮の倒食持ち」と呼んで良いでしょう。手先の器用な人でしたから
私のもう一つの仕事にはお知恵を拝借した事もあって、
未だに参考にさせて頂いて重宝しております。
(ブログの参考文献 )
平岡滴宝訳 「改訂版 新訳・滴天髄」 「改訂版 神峰通考・干支体象詩」
平岡滴宝著 「改訂版 あなたの運命のすべて」
「改訂版 子平学・四柱推命法深書」
「改訂版 秘本・子平廣論」
( 子峰院 占い人・和珞 2022/04/19 )
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