先日のTwitterでは、時支と源流を元にした命式の見方を呟きました事から
今回は、「滴天髄」の生時論と源流論を根拠にした見方を御紹介したいと
思います。
平岡滴宝先生に子平学を習い始めてから、鑑定の勉強にはノートの見開き2ペー
ジを1人分に使いましたが、師から、命式夫々天干から通根の地支へ線を引く事を
求められました。課題の命式に線を引く事を怠った日には、普段は優しい師の顔が
鬼の如く血相を変えた様になった事を今でも忘れられません。
何故天干と通根の地支に線を引かなければならないのか、そんな大事な質問を
した事は有りませんが、学んで行く道すがら其れがどんな意味を持つのか徐々に
理解出来る様になりました。
最初に、同じ天干でも通根の地支によって通変星の出方や性格が大きく異なり、
例えば日干甲が1支だけの根の場合、卯と寅ではその性格は違いますし、
日干庚が申2支と、巳と酉、丑と戌の組み合わせでも性格は異なります。
しかし、これは基本中の基本で大した事ではありません。
日数をかけて学んで行くと、この線から、通根、還流、源流の関係を深読みすれば
命式の数以上多くの推命法が見つかりました。
( 通根・還流・源流とは )
「通根」とは、地支が天干を支えて助けることで、これを天干が根をもつと
言います。
「還流」とは、天干が地支を通じて他の天干に影響する事。線はVの形になる。
「源流」とは、地支が天干を通じて他の地支へ影響する事。線は∧の形になる。
還流・源流で線を引けば、命式によれば∧VやXの線が乱れる事も多々あります
が、源流や還流の繋がりがハッキリするだけで無く、元亨利貞で見る年代別の
気の流れや年代別による対人関係の繋がりがハッキリと見えて来ましたが
まだそれだけでもありません。
( 平岡滴宝訳 新訳・滴天髄より
(生時論)
生時は帰宿、これを墓にたとえるなり。人元、事に用いる神、
墓の穴なり、もってわきまえざるべからず。
命式は昔から元亨利貞が言われ 四柱の夫々が現在では20年を受け持ち
命式自体で運を言う形式があります。これを元運と言いますが
時柱は運がたどり着く場所で、終着駅であり、人にたとえれば墓とも言える
場所ですから、その良し悪しを良く知っておくべきです。
(源流論)
何処(いずこ)より根源おこり、いずこに向いて流れ住む。
機括(きかつ)この中より求むれば、来るを知りて又去るを知る。
夫々の干の根が、各柱のどこから始まって、どの位置に住みついているのか
このしかけの様子を調べれば、どう言うことが(通変星の意味等)、何時頃から
始まって何時頃で終るのかを知る事が出来る。
平岡滴宝訳 新訳滴天髄より )
天干は側干左右の関係は直接尅の関係であっても、離れていればせいぜい制の
関係と見なしますが、側干でなくても還流の関係が生じますと尅の関係になる場合
は少なからずあります。又、干と干を取り持つ地支は良くも悪くも重要な役目を
背負っている事が多く、時には「病」や「薬」の場合がありますから、
支合・冲で抜けた時の良し悪しを知るべきでしょう。
この還流関係を滴宝先生は非常に重要視していましたし
門下も後に続いております。
火の地支で乾いていても、源流で水の地支と繋がれば潤う場合も有りますし、
地支同士の相性によっては志を同じくしない場合もあって、命式の状態ではどの
様な結果が生じるのかを見極める必要があります。
生時論と源流論の考えを元にした推命法の一部を御紹介
( 平岡滴宝著 秘本・子平廣論より
年支から年干に通根、年支は時支に通根した場合、本人を通じて生家との
関係を現します。時支が喜なら生家はなお盛んで忌なら衰退。年干の通変星は
その具体的な意味を現します。月日時それぞれの天干の場合、その関連は元運の
年代からになります。もし通根が日干であれば本人の意志で本来の生家の形が
変わる事も多くあります。この場合係わり合った年代と通変星の意味や喜忌等
で推命をいたします。
日支と日干の関係は喜忌で良いか悪いかが言われますが、複合させた見方
が大切で、もし日支が喜の時干に通根して更に喜の時支に通じていれば、
たとえ日支が月支と刑害破の関係にあったとしても、配偶者は結局つくして
くれることになります。)
< 経験による 生時論と源流論 >
〇内格身旺の命式、雑気の年支が日干に通根、行運喜財に通根する地支なら
母親は経済的な面での支えとなる可能性があります。年支が冲・支合で無作用と
なる時が年齢的な意味で婚期なら、それは占術的な意味でも独立・婚期ですが、
母親が反対するような結婚は、将来性を失う様なものですから辞めた方が
良いでしょう。
まして時支や時干に通じている様な年支なら尚更でしょう。
それがたとえ忌の地支であってもです。
〇幼少・青年期は人生の基盤を作るには重要な時期です。特に青年期はその時期
にあたりま、親御さんからの援助も受け易く時間もたっぷりあって基盤を作るに
は最適な時期でありますが、皮肉にも色々と好奇心に誘惑され遊興に走ったり
親の経済状態等の諸事情等から、大事な時期に
人生の基盤作りに成功される人ばかりではありません。
中には20歳を超え親から独立後、これから何を生計にすれば良いのか
と戸惑う方がおられます。その様な時依頼者の方が考える程の良い回答ができな
い時があり限界を感じる事があります。しかし、大運の良い調節期と同様に、
この源流論を活かしての回答は功を奏しています。
〇時柱の喜の印星について
(命式・女性) キ=喜 ィ=忌
時 日 月 年 4月生まれ 月令乙
印 財 劫 甲乙月令4,5 辰 5,5
壬キ 乙キ 戊ィ甲キ 壬1辰申 3
午ィ巳ィ辰△申キ 戊1辰 2
丁 丙 乙キ 庚
A日劫印8,5 対 B財2 格名-外格従旺
<大運>
92 82 72 62 52 42 32 22 12 2
戊 己 庚 辛 壬 癸 甲 乙 丙 乙 ←化木運有り
比 傷 比 劫 倒 印 殺 官 才 財 ←大運の通変星
午 未 申 酉 戌 亥 子 丑 寅 卯
日干乙は、喜で戊山に根を下ろしたり、壬水に浮いたりと辰の根を持ち、
思考・行動共に柔軟で器用で賢い人です。
運では、疵忌の戊を42歳の働き盛りに合去 最高の調節期を向かえ、
大運の晩年の辛庚運は、命式元運の壬で浮いて逃げる事ができ大して悪く
無く、非常に恵まれた命式と位置づけて良いでしょう。
ただ、壬は辰を還流して月干戊財に気が向き、日支丙傷は家庭への
サービス精神が働き、行動性は節約と長年の趣味を生かしての僅かな収入策。
(※癸運は、知的財テクで一過性ではあるがかなりの収益をあげる)
元運、晩年の時干壬、喜印綬の準備の意欲がありません。
60歳頃からの時柱、元運の壬で始めて「人に教える仕事がしたい」と強く
思い始めました。
刺繍を長年してグループで作品を定期的に販売していましたが、新たな夢が
生まれ始めました。
しかし、当時は師が描いた絵に刺繍を施す事に専念、自身には
絵心が無く、全ての工程をできない自身は教える事は無理と考えるのでした。
今からでも遅くは無いのではと言えば「周りの仲間達の絵の技術はかなりの
物では、チョッとやソットでは追いつかないし足元にも及ばない」と
自身の人生の失敗は其処にあって 恵まれていれば良いと言うものでは無いと
としみじみに仰って「貴女にもっと早くお逢いしていたら、私の人生はもっと
満足が出来たでしょうに」と・・・・
※壬と戊を還流する辰がポイント、辰を抜く戌卯がチャンスですが
57・67歳では遅く、もっと早い時期に巡っていればと考えます。
等と偉そうに書きましたが当の私も、
晩年にはしたい事がありました。命式の時干は敗財、時支に還流、晩年は
40~60歳の間にしていた事の応用ですから遅くても50代に取り掛かっ
ていないといけなかったのですが こんな事をしている間にこんな事になっ
てしまい、したい事も自然消滅してしまいました。お笑い種(ぐさ)としか・・
滴天髄の理論は私に取っては宝石箱の様な物です。特に生時論と源流論を
重ねての考察は推命時には無くてはならない論となりました。
こう言った考えは、直接師に問うた訳ではなく、二人の師の推命の仕方を観察
して理解できたものです。どちらの師も鑑定書を書いている時や私のノートを
覗いている時の独り言の多さは、御本人方は意識していないでしょうが、
子平技術が洩れ洩れで、私はそれを両手で受け止め頭へ納め叩き込む様にして
盗み取るわけで仲間には「ずるい」と言われます。
なんて「滴天髄」は面白いのでしょうか・・・!
又、近い内に滴天髄でお逢いしましょう。
(ブログの参考文献 )
平岡滴宝訳 「改訂版 新訳・滴天髄」 「改訂版 神峰通考干支体象詩」
平岡滴宝著 「改訂版 あなたの運命のすべて」
「改訂版 子平学・四柱推命法深書」
「改訂版 秘本・子平廣論」
( 子峰院 占い人・和珞 2022/07/20 )
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