< アイツ・24 >

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        ↓ (子平学と四柱推命の違い)

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<アイツ・24>

 勝は、北村設計事務所の仕事を引き受けた。事務所の仕事は、経理やあらゆる書類等の事務以外に雑用の他、測量の手伝いや役所や銀行周り等と外出仕事もあって田舎の設計事務所の割には仕事は多く退屈をする暇は無かったが、書道教室や伊藤先生から習う時間には配慮を貰い書道を心置きなく続けられるのは勝に取っては有り難かった。  月に二回、職場帰り伊藤先生の自宅に伺い教授を願い、先生の奥方に夕食を誘われるまま夫婦と一緒にお喋りに花を咲かせるのだが、特に奥方はこの時間をとても楽しみにしていて訪ねる日の殆んど夕食は伊藤家で頂く様になった。夫婦には息子が二人いるが どちらも遠くの都会に住居を構えている為会う機会が少なく、特に奥方は勝を娘の様に可愛がり夕食を共にする時はまるで親子の様であった。伊藤先生は「僕は勝君と小規模でもいずれ二人会の展示会を開くのが夢だから、勝君も覚悟して下さいよ」と言われて、勝には夢がもう1つ増えた。

(桂子)

母親同士が、若かりし頃同じ職場の仲良しだった事から、半島から中学に通うのが困難であった為 天気の悪い日や次の日は弁当が不要な金曜日には勝の家に泊る事が常とした桂子は、勝の両親にも可愛がられて互いに姉妹の様に育った。桂子は高校に行かず稼業の養豚業を手伝う傍ら、勝の書道教室に通い勝が高校を卒業する頃にはかなりの腕前となって、勝の手伝いをしていたが順調に昇級、二十歳(はたち)の頃には師範となって、半島の自宅に教室を設け近所の子供達を教え、半島からバイパスが通ると自動車で夜間高校に通い卒業後は通信教育で大学卒の資格まで取得したのであったが、教室に通う子供達に短歌を教え若くして評判の人となり、同業者の養豚業を営む自宅近所の男性と結婚をして三人の子供にも恵まれたのであった。

(潤子)

隣家の潤子は、県庁所在地の銀行に勤め土曜日の夕方教室には必ず訪れて銀行の仕事や仲間の事を毎回話してくれた。潤子の母親の美佐ちゃんはそんな潤子の事を「中学の頃の成績は尻から数えたら一番か二番がね銀行に勤められるなんて信じられんよ、人は変われるもんだ」と言って喜んでいたが、30歳になっても結婚をしない事から美佐ちゃんの言葉はだんだん愚痴へと変わり「他の友達のように結婚をして孫の顔を見せて欲しい」と、しかしそんな潤子も40歳にして流行りのできちゃった婚をして「孫の顔を見せてくれりゃ 他人にどう言われようと・・・」と美佐ちゃんを大喜びさせた。

(美枝)

幼い頃より山深くの僻地に住み遠距離通学をものともせず頑張り屋の美枝は、勝と同じ高校を卒業すると大阪の大手企業に就職、20代に税理士事務所を営む男性と結婚、伴侶に御尻を叩かれて税理士資格を悪戦苦闘の末取得したのであった。両親は兄家族と住み美枝とは何の因果か折り合いの悪さや元の家は廃墟と化して故郷に帰る事が無くなって勝とも逢う事も無く只年賀状だけの付き合いとはなって行ったが縁は切れる事は無かった。

(靖子と久美子)

中学校時代、勝と仲良しで日曜日の殆んどを一緒に過ごした靖子と久美子、靖子は市内の洋装店の縫手として活躍、田舎にもバブル時代は訪れ彼女は有名デザイナーのデザインを真似しながらも、裕福でない娘達の為に布は少なめのアッサリ型のウエディグドレスを考案して市内では人気者の仕立て屋になって繁盛した。

久美子は尼崎で洋裁師として頑張っていたようだが勝とは大阪で逢ったきりその後逢う機会は訪れなかった。久美子の実家は兄妹が多かったわりには皆実家から遠くに離れて両親は大きな敷地に建つ大きな家に二人きりで住まい、勝はそんな二人を時々訪ねて縁側でお茶を飲みながら、久美子の近況を聞く事が出来た。

(中野と浜田真知子)

共に母子家庭近所で助け合って気の会う中野と浜田真知子は、小学生低学年の頃より将来を誓い合い恋人関係の二人は、中野は中学での成績はトップにあったが真知子を高校に行かせる為に自分は高校に行かずその学費の為に働き、真知子は勝の書道教室にも熱心に通ったが高校卒業すると直ぐに中野の援助で市内のスーパーの中に小さなフラワーショープを開業し、勝の母親からも茶花を教わっていた事から店内で質素を基本とした活け花を教えて人気を得、二十歳を超えると中野と結婚をしたがフラワーショップは生涯の仕事と決めて辞める事は無かった。

中野は運転免許が取れる年齢になると普通から大型を取得、大型を取ると県内の大手製鉄会社の運転手として入社、社内の部長クラスの人と石灰運びには一緒する事があり、信頼関係を築き贔屓を得られ遂には下請け工場を任される様になっていった。

勝の勤める事務所は製鉄会社と石灰砕石所の途中にあって、昼時にトラックを横付けしてその上司と訪れ「ステーキを奢るよ」と言われてはステーキ屋では無く市内で美味しいと評判のおでん屋に連れて行かれて勝は時々奢ってもらった。

(勝)

アイツが大学を卒業する頃23歳過ぎて勝は、伊藤先生との二人展を開いた同年、自然の成り行きで安藤と結婚して次々と三人の子供に恵まれ上の子供が幼稚園の頃、司法試験合格の後下積み生活を終えて検事になったと人伝にアイツの身上を知る事が出来た。

(郁)

小学低学年の頃より仲良しであった郁は地元の国立大学を卒業すると県庁に勤め、勝の嫁ぎ先の安藤の家と隣にある実家から通勤して、勝とは三日と明けずに顔を合わせて休みには勝の子供の相手をして親しい付き合いは続いたが「結婚は?」と勝が聞けば「結婚は一生するつもりないよ。あんたたちを見ているだけで幸せな気分になれるから」とはぐらかす。勝は -結婚だけが人生では無いよね- と思った。

(それから)

勝の子供達が進路に悩む青春期の頃、アイツの母親と伴侶に連れられてアイツの息子が暑い夏休み市内駅前のホテルに宿泊していると連絡を貰い、ホテルに郁と一緒に訪ねるとアイツにそっくりな次の年には小学に上がると言う男の子が母親と祖母の三人で出迎えくれた。郁と勝とで翔太と名付けられた男の子を取りあい、二人のご婦人を大笑いさせたが、勝が座ると膝に翔太は乗ってきて母親に叱られると祖母が「抱かせて上げて」と制した。郁が横から「お前もか?」と小さな声で呟いたが勝の耳には届かなかった。

しかし、そんな日々はつかの間、アイツの伴侶の瞳さんは乳がんをこじらせ翔太が中学生の頃突然帰らぬ人となったのである。

祖母は、転勤の多い環境を避け勝達が住む田舎で高校生活を翔太におくらせたいと言う気持ちから、半島に住む桂子の近くの借家を借りて、アイツを赴任地に残して翔太と二人で暮らす決意をした。人の世話が嫌いで無い桂子は、住まいも近くある事で二人の生活を支えた。桂子の子供は成人世話がかからなくなって一寸寂しくなった時期に翔太の出現には心をくすぶられ、翔太も桂子を母親のいない寂しさからか慕った。高校はアイツと同じ地元の進学校に進み、海に近く自然豊かな半島の暮らしは翔太を逞しくさせ穏かな暮らしの中で勉強にも集中して隣の県の国立大学法学科へと順調に進んみ、それを見届けて祖母はアイツの元へ帰って行った。

(年月は流れ)

勝が還暦を迎え友人達の両親が次から次へと黄泉の国へと召されていく中、勝も例外では無く、伊藤先生や安藤の両親や父親を失い母親が一人古い実家を守っていたが90歳を超えて亡くなった。葬儀を済ませ数日経ったある日、アイツからいたわりと慰めの気持ちが詰まった自筆の長文の手紙が送られて来た。最後に「そう遠くない日に、安藤と君に会える日が訪れます。その日がとても楽しみです。」と書かれてあった。

(それから数年後)

 未婚の郁子が訪れ聞いて欲しい事があると言って話し出した事と言えば「私、司君と結婚します。祝福してくれるよね。」聞けば、中学校時代から郁はアイツが大好きで、何度もアタックしたのに振り向いてくれなかった。勝が考え込むと「うんん 勝のせいじゃないよ。勝が気を使ってくれた事を私は知っている。だけど司は一度も私の方を振り向いてくれなかった。高校生の時は一緒に帰ろうと言っても曖昧な返事が帰って来るだけで気がつけば何時もいなくなっていた。翔太の心配も無くなったので私司を訪ねては猛アタックに挑戦してみたら司さー根負けしてOKしてくれたんだー、私、なんでか一番に勝に報告したくって」勝はこれまでの郁の気持ちを考えると、涙が溢れ嗚咽をもらして泣くのを抑えられず恥かしげもなく大泣きをした。

郁も嬉泣きして二人揃って泣き暮れたのだった。

 

アイツが無事退官を済ませた報告で自宅を訪ねて来ると連絡があり、勝は安藤とその日を心待ちにしたその日、時間がやっと訪れチャイムが鳴り二人で待構えた様に玄関の戸を開けると、あの頃の面影を残しながら人並に老けたアイツの笑顔と郁の顔が幸せそうに並んでいた。おしまい!

 

子峰院・和珞の創作小説でした。

つたない創作小説にお付き合い頂き、有難うございました。和珞