陳素庵氏による「滴天髄輯要」では
「如子午相冲得丑未合而靜生」と
平岡滴宝先生は「新訳・滴天髄」で次の様に訳され説明されております。
(「子午の冲丑の合を得て静か」と説かれ、支合は冲を収めると示唆されて
います。)と
命式地支の冲は支合で解ける事を言い
滴宝先生はこれを「解冲解合」と一言で表しています。
若い頃には、こうした命式は色々の方法で推命を行う様指示を受け
一人の命式を幾通りの方法で推命を行い勉強した覚えがあります。
唐突にこの様な事を書きましたのは、今回の鑑定例は解冲解合と
天干では化火もある命式で、特殊と言って良いほど珍しい命式です。
<命式・女性>
時 日 月 年
庚 壬 戊 癸
倒 才 財 月令-丁 季節-夏
庚 壬 丙 丁 壬1干1支(2)
戌 子 午 未 庚1干1支(2)
戊 癸 丁 己 丙丁(2令)3支(7,5)
A4 対 B7,5 身弱 内格、編官格
< 命式は >
元々の命式天干年月は癸戊ですが、月令が火の為化火となりなります。
よって年干は丁、月干は丙となり、月令は丁、天干の丙の強さは
真夏の灼熱の太陽を意味します。内格身弱の命ですから日干壬と偏印庚は
喜。未午は支合、午子は冲の関係は並びからも解冲解合、支合も冲も無かった
事になり3支は通根の天干を支える事になります。
子は、壬に通根しますし火気強い命に潤いと冷を与え、命式を燥から救い
徴候用神そして元機の地支と私は位置づけました。
よってこの場合の子の力を考慮解冲解合は有情としました。
子は命式上最も大切な地支になります。さて子は解冲解合ですから安定性が
あるかと思いきや?
日干壬は上記の様な子1支に支えられ弱からずの天干ですが、灼熱の太陽に
影響を受けています。
< 大運 >
75 65 55 45 35 25 15 05
✓ 〇 〇 〇 〇 ✓
丙 乙 甲 癸 壬 辛 庚 己
才 傷 食 敗 比 印 倒 官
寅 丑 子 亥 戌 酉 申 未
✓ 〇 〇 ✓ 〇 ◎ ✓
< 大運は >
この方は戦時中に生まれていますが、初運5才には終戦しています。しかし
まだまだ物資不足混乱期にありました。思春期を京都と勉学や技術を身に
つけるには最良の地で過ごし、高校卒業後は一旦就職するも美容に興味が
沸き美容師の学校に通いました。
〇20才~の申運は、喜の壬庚を強め人生上最高の時期、その頃知り合った
伴侶の力を借りて京都から離れ別の地で店を持ち、23才で結婚して数店舗を
構えました。
〇40才~の戌運は、金と火を強めますが還流によって火で金を尅しますから
この命では毒の役目をします。42才夫を病気で失いました。
※54才まの40年間戌運以外は喜運、数店舗の店は1人では賄えず「この方」
と、思った人に経営を手伝って貰ったそうですが、その間仲間との調節には
苦労は絶えずごたごたが続いたそうです。
〇70才~の丑運は、未午子は丑未・午子と組みして地支は持ち前をさぼり
丙丁も弱りますが、日干壬は無根となり先ず気力の衰えが現れます。
弱みに付け込まれるように信頼していたスタッフに裏切られ経済的損失が生じ
ました。それでも表立たにする事なく収めようとして多額の借財を背負い込むと
同時に人に言えないストレスを抱え込んだものと考えられます。
〇75才~の月令に旺じられた丙運は、尚一層喜の壬庚は丙に尅され弱ります。
難病指定である筋肉の病気を患い亡くなられました。
< 最後に >
この方には娘さんがおられましたから、丑運の借財の処理には下手は出来ない
と弱った心身に鞭打つようにして作業をこなした事だろうと他人事ながら胸に
迫る思いがあります。
お嬢さんに勧められブログを書きましたが、年齢のせいでしょうかなかなか気が
進まない思いがありました。「お役に立てて下さい」の言葉に背を押されて
やっと重い腰をあげた次第です。
解冲解合の命は運命的に静かかと言えば、決してそうでは無く通根次第では
その風波(地支は行ったり来たり)は馬鹿にならない事は確かです。
又、この様な時期誰でも「死の恐れが」あるかと?言えば、これもそうとばかり
言いきれるものではありません。
この方の場合、甲運か晩くても乙運で事業自身の責任を狭ばめ
自身の目の届く範囲にしておけば被害やすったもんだやストレスも少なく
好きな仕事をしながら余生を楽しめ
娘さんへの迷惑も、もっと少なく済んだことでしょう。
( 子峰院の出版物 及び ブログの参考文献 )
平岡滴宝訳 「改訂版 新訳・滴天髄」 「改訂版 神峰通考干支体象詩」
平岡滴宝著 「改訂版 あなたの運命のすべて」
「改訂版 子平学・四柱推命法深書」
「改訂版 秘本・子平廣論」
( 子峰院 占い人・和珞 2024/06/01 )
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