平岡滴宝著「四柱推命の秘則 新訳滴天髄 順逆論」を読む。 

順逆ととのわず、逆すべからざる者はその気勢に従うのみ。     

 

 ( 訳 )                               

「長江の如き大河は、順流直下、逆すべからざるなり」。

楽吾氏の言ですが、特に強い力を持った干に対しては、

調節の方法を使わず、その気勢に順応する方法を採用した方がよろしい。                

(追補)                             

これは外格に該当します。このような場合、体干に尅干の強さによっては、

「死ぬことさえある」と言う例がよく挙げられます。           

例えば従旺格の場合、印が混ざって格が成立している方が良いと、

よく言われるのですが、それは官殺がめぐって来た場合、

印が通神となりその害が軽減されることを意味します。

ですから比劫ばかりの外格では、官殺を非常に恐れるわけです。

従強格(印の方が強い格)の場合は、財が尅干にあたり恐ろしい相手です。

従旺格に印が混ざって良い意味は他ににもあり、印の性格や自分を巡っての

環境の良さが有利と言え、印星の効果をも言っています。

この時の印星は必ず喜の干となります。

                 f:id:sihoin:20190815164116p:plain

< もっと順逆論、和珞の余談 >                  

「気勢に従うのみ」とは、強いものには従えと言い、「強い干は強い程良い」

と言っています。上記追補の外格従格の事で用神取法は専旺法に当たります。

同じ四柱推命でも、どの命式も五気の調和が取れていれば全てが上手く行く、

即ち木火土金水が命式に程よくあれば良く、なければ運で巡る時は全てが

良くなるとの、推命法を目にしますが、

外格で取れば、それとは推命の判断方法は真逆になります。    

 

< 命式・男性 >                          

時 日 月 年   干合・冲・合無し 

倒   傷 比   癸2干(令3)子亥2支 (5)  

辛 癸 甲 癸   辛1酉2支 (3)                    

酉 亥 子 酉   甲1干亥1支 (2) 

辛 壬 癸 辛   A8 対 B2                  

   AはBの三倍以上で外格従旺 5年運逆行 

   喜の干=壬癸庚辛丙(化水)己(忌の甲を合去)            

        忌の干=甲乙丁戊  

大運は癸亥と逆行で巡ります。青年期には一流大学を卒業、

実家の事業を継ぎ50歳までは順風満帆でしたが、

大運は50歳未(忌の甲を強める)運辺りから体調を壊し65歳からの丁運 

丁卯年クモ膜下症で倒れ生死の境をさまよった末、

後遺症で言語や手足の不自由で車椅子生活を余儀なくされた人です。

この前記の様に五気の調和で喜忌の判断を下せば、水金の強い命式ですから

大運逆行5歳からの癸亥 15歳の壬運 25歳から辛酉 35歳から庚申運は

必ず不調期で体調も優れなかったはずですが、そうではありませんでした。

五気は木2・火0・土0・金3・水5と取りました。

この方は働き盛りを満喫した人です。

しかし 体調を含め若くして長びく不調期の人は夭命の可能性がありますが、

運を知り意識するだけで、運の悪さを軽減出来る事は確かです。

私は絶対にこの命式は、外格の判断で推命をいたします。

上記の命式も喜運は風邪一つ引かない人でしたから、

健康面でも自信過剰になっていた可能性があります。

水金の強さからくる生命力の強さは、運を知り意識するだけで、

少なくても健康面での不調は軽減でき回避できる可能性は充分にありました。                   

他に好きな事がありましたから、何度も推命を辞め依頼を断わり

好きな事を優先、人生を楽しもうと思った事がありましたが、

こうした命式に出会う度「私がやらなければ」と思い辞められずに来ています。       

子平学での「調節」とは、簡単な説明としては、大運で忌の干を洩制尅、

又は通根の地支を冲・支合で弱める時期や、喜の干は比和や生や通根で強める

時期は良くなります(破格に注意)。

外格で「五気が揃えば良い」の推命をすれば上記の「死ぬことさえある」

に該当する時期が多々あります。

そんな事はどうでも良いのだと言う意見もありますが、

子平学に取ってはどうでも良くはありません。

特に子平学は大運を得意とします。大運の吉凶を推命するには、

内外格を決め、命式の干支の喜忌を見極め、

その上で大運の喜忌を見て行く事になります。( 和珞 )

 

 ( 滴天髄の訳本や註釈本で、新訳滴天髄の参考文献の一部 )

清代の初め  陳素庵氏  「滴天髄輯要」(註釈本)

その後    任鉄焦氏  「滴天髄徴義」(訳本)

近世     徐樂吾氏  滴天髄徴義を更に①註釈や②補註を書物に

近世     袁樹珊氏  「專闡微」滴天髄徴義を更に註釈

 

( ブログの参考文献 )                          平平岡滴宝著「新訳・滴天髄」「秘本・子平廣論」

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/10/21 )

 

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子平学・四柱推命の歴史

 今回は平岡滴宝先生の著書の中から、子平学・四柱推命の歴史や人物について

書かれたものを一部抜粋し書き写してみました。

著書は、四十年~三十年前に書かれたもので数字的に食い違う点が

ありますが、そのまま書き写していますので御了承ください。

 先生は専門書を求めて幾度と中国に渡り、日本では手に入らない本でも

勉強をした人でした。

 

< 「子平学・四柱推命法深書」序の章 子平学より >

 相国、陳素庵氏(清代初期、順治時代、一六四四年頃)の命理約言と言う

書には、禄命の学(子平学)はいつ頃から起ったのか、はっきりしないと

書かれています。

 明代の張神峯氏は、徐居易氏が始めてだろうと言われています。

その原則らしきものはずっと昔、西紀前三〇〇〇年頃、伝説時代と言われ

黄帝にさかのぼると書いておられました。

 いろんな諸説はありますが、現在の四柱推命即ち生年月日時の四柱八字を

基本として、いつ頃から人の運命を推しはかるようになったのか、

区別出来る資料や基準はないと言ってよいのではないでしょうか。

 ちなみに先の鬼谷氏は、黄金策と言う五行易の書を書き残された人です。

 漢代、世紀前二〇六年より始まり、世紀二二〇年迄の間では、

星宗や七政四餘と言ったいわゆる星で占うやり方があり、

人によってはそれが子平学の原点だと言う人もあります。

又一説では、六一四年からはじまる唐代での李虚中氏が、

四柱八字の干支の生尅に、主眼をおいたやり方をした時とも

言われたりしています。さらに現在の仕方に最も近く、

通変星を使用し始めた時が、子平学の最初とすべきだとの論もありました。

しかしこの通変星をいつ頃から使い出したかについては、

これ又確証がありません。

 一三六八年から始まる明代の人で、三命通会と言う書を編纂された、

民英、萬育吾氏は、虚中、居易、大升、徐公升に至る迄、

即ち唐代から宋代の間では、いくど推命のやり方が変わったか知れないと

記しておられました。

 居易、大升、公升、三氏の性は「徐」であり、徐子平の称号は、

この三氏のいずれにもあてはまると言えそうです。

 二〇〇〇年以上の歴史があると言われる各種の占術では、

生まれ年を主体としていますが、これは現在でも、生まれ年の「えと」

として皆さんもよくご承知のとおりです。

 この基準となる生年の干を日干に変えた人は、九〇七年から始まる、

五代十国と言われる末期の徐居易だとされ、それ迄は四柱推命も生年の干が

基本となっていました。

 又徐大升は北宋、徐公升は南宋時代の人で、皆さんがよく耳にされる

「渕海子平」と原書は、東斉、徐公升の編纂になるものです。

 もし「「渕海子平」を、徐公易(子平)氏が書いたものと

記憶されている人があるとすれば、それは、あやまりです。

 このように見てゆきますと、徐大升氏の渕源定眞論では、

すでに通変星が使われおり、やはり現在的な四柱推命と言えるものの

起りはどうやら五代の人、徐居易氏頃からと言っても

良いのではないでしょうか。

 しかし当時の日干主体の推命法は、四柱八字の干支の生尅と同時に、

古来からの星をも併用していました。このやり方は、

三徐、明代の萬育吾、張神峯、清代初期の陳素庵、

(後年は無神殺に変わっています。)四言集腋の廖氏、

近代徐楽吾、袁樹珊、龔稚川などの各氏に受けつがれ現在に息づいています。

 現在の日本では主にこの方法のようです。

もう一つは、明代を起こした朱元璋の軍師、劉基伯温と言う人が

残した滴天髄です。

 この内容は、干支の生尅の情を重視し、陰陽の変を言い、格を集約し、

すべての神殺星を排除してあります。これは画期的な方法で、

後世の人は無神殺論と呼び、現在の中国子平推命の主流を

なしているとも言われています。

 この無神殺論をうけつぐ人には、宝鑑を原編された余春台、

後年の陳素庵、同じ清代、任鉄橅、沈孝膽、韋千里、張耀文の

各氏があげられ、日本でも次第にその支持者が増えつつあります。

 かく言う私もその端の一人です。

 子平学の沿革は概してこのようであり、神殺併論と無神殺論の二つに

大きく分かれているのが四柱推命の流れと言えそうです。

 ここで特に目をひくのは、今から約六二〇年も前に初めて

無神殺論を展開した劉伯温氏であり、

後年になって無神殺論に変わった陳素庵氏であります。

 両氏は渕海子平に精通し、なお無神殺論を支持しました。

そしてさらに言いたいことは余春台氏を初め、清代以後の殆どの人達が、

その両方に精通しながら、それぞれの論を展開していることであり、

いかに旧説と言えども、あくまで神殺が主体ではないと言う事実です。

 こうした中でさらに私が興味をひかれるのは、

前述にあげた徐楽吾氏などを含む清代迄の先輩達の殆どが、

占術のプロではなかったと言うことです。 

 これは何を意味するのか。

 それは各種の占術の中でも、子平学は運命学として真に興味深く、

価値があると各氏は思われたのではないだろうか、

それならばこそ無神殺派の人達は、占術の主役である星々を排除し、

天地の自然と人間との、リズムの同体化を重要視されたのではないかと、

私にはそう思えてならないのです。

 しかし私は劉伯温氏の生涯を知るにつけ、言葉少なく残された

滴天髄の原文の中に、人としての生き方のようなものを

教えられた気持ちがし、なおやがて来るべき21世紀の人々の生き方、

考え方迄、問いかけられているような気がしてなりません。

このような気持ちから、私は子平学だけを専攻し、無神殺論を支持します。

 

又< はじめ >の項では

 原書を見られた先生の中には、たとえば鬼谷子を周末期、

戦国時代の人と記された人がありましたが、もう少しあと迄読んで頂ければ、

戦国時代ではないとあるのがおわかりになったと思いますし、

徐子平を徐居易氏だと記し、陳希夷氏と友人だと言われたりしていますが、

居易氏は五代の時代で、希夷氏は北栄の時代ですから明らかに時代が違い、

友人になれる筈がありません。   

 宋代では徐大升氏が定説であり、陳希夷氏は徐大升氏と

友人であった可能性は考えられます。

 

「平岡滴宝訳 神峰通考 干支対象詩」では、

次の様に書かれています。

 天干体象についての論説で有名なのは、

劉伯温氏の滴天髄、著者不明の造化元論(俗に言う窮通宝鑑)と、神峰通考の

三書であります。しかし内心驚かされことは、

同じ明代でも三者に疎通が見られないのに、

その考え方が似かよっていたと言うことです。

                   f:id:sihoin:20190719142402j:plain

     < 和珞の感想 >

※滴天髄、造化元論、神峰通考が似かよっているとは言え、

異なった解釈は至るところに見受けられますね、

そいったところを見つけて三者の違いを味あう事ができれば、

子平学はより面白味が湧いてくるのではないかと思います。

 この三書は共に上記の通り明代です。

私が興味を持ったのが、渕源定眞論を書かれた北宋時代の徐大升氏の事で、

深書の十天干体象の章では、氏の元理腑の中に現在では「反生反尅の理」

と言われる干関係の特殊性がすでに書かれていたと、

宋代は明代より古く三書の頃よりおよそでも百年以上前の事となります。

勿論大升氏の論と似たものが明代の三書に中にもありますが、

現在でもあまり唱えられてないものがあると

感じながら時々重宝に使わせて頂いております。

 

滴宝先生は著書の至る所に 

子平学に関連する時代と先人方の名前を記しては、内容説明をしておられます。

お手元に著書をお持ちの方は、こうした文にも御目を止め読んで頂けますと

子平学をより楽しんで頂けるかもしれません。

 私は恥ずかしい話ですが独自で子平学の、歴史の勉強をした事がありません。

なぜなら滴宝先生の著書には充分にそれらが書かれていたからです。

何度となく読んでいく内先人方の名前、著書名、時代や順序は

頭の片隅に残りました。

先生は子平学だけでなく中国の歴史物には興味をお持ちで、

記憶に残る物としては、陳 舜臣氏、吉川英治氏、井上靖氏の作品を

読んでいた事を思い出します。

 私はユン・チアン氏のワイルド・スワン上下二冊を選び、

誕生日にプレゼントしてとても喜んで頂いた思い出があります。

 

参考文献 平岡滴宝著  「子平学・四柱推命法深書」

     平岡滴宝訳  「神峰干支体象詩」      

          

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/10/06 )

 

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子平学・四柱推命の歴史

 今回は平岡滴宝先生の著書の中から、子平学・四柱推命の歴史や人物について

書かれたものを一部抜粋し書き写してみました。

著書は、四十年~三十年前に書かれたもので数字的に食い違う点が

ありますが、そのまま書き写していますので御了承ください。

 先生は専門書を求めて幾度と中国に渡り、日本では手に入らない本を手にして

勉強をした人でした。

 

< 「子平学・四柱推命法深書」序の章 子平学より >

 相国、陳素庵氏(清代初期、順治時代、一六四四年頃)の命理約言と言う

書には、禄命の学(子平学)はいつ頃から起ったのか、はっきりしないと

書かれています。

 明代の張神峯氏は、徐居易氏が始めてだろうと言われています。

その原則らしきものはずっと昔、西紀前三〇〇〇年頃、伝説時代と言われ

黄帝にさかのぼると書いておられました。

 いろんな諸説はありますが、現在の四柱推命即ち生年月日時の四柱八字を

基本として、いつ頃から人の運命を推しはかるようになったのか、

区別出来る資料や基準はないと言ってよいのではないでしょうか。

 ちなみに先の鬼谷氏は、黄金策と言う五行易の書を書き残された人です。

 漢代、世紀前二〇六年より始まり、世紀二二〇年迄の間では、

星宗や七政四餘と言ったいわゆる星で占うやり方があり、

人によってはそれが子平学の原点だと言う人もあります。

又一説では、六一四年からはじまる唐代での李虚中氏が、

四柱八字の干支の生尅に、主眼をおいたやり方をした時とも

言われたりしています。さらに現在の仕方に最も近く、

通変星を使用し始めた時が、子平学の最初とすべきだとの論もありました。

しかしこの通変星をいつ頃から使い出したかについては、

これ又確証がありません。

 一三六八年から始まる明代の人で、三命通会と言う書を編纂された、

民英、萬育吾氏は、虚中、居易、大升、徐公升に至る迄、

即ち唐代から宋代の間では、いくど推命のやり方が変わったか知れないと

記しておられました。

 居易、大升、公升、三氏の性は「徐」であり、徐子平の称号は、

この三氏のいずれにもあてはまると言えそうです。

 二〇〇〇年以上の歴史があると言われる各種の占術では、

生まれ年を主体としていますが、これは現在でも、生まれ年の「えと」

として皆さんもよくご承知のとおりです。

 この基準となる生年の干を日干に変えた人は、九〇七年から始まる、

五代十国と言われる末期の徐居易だとされ、それ迄は四柱推命も生年の干が

基本となっていました。

 又徐大升は北宋、徐公升は南宋時代の人で、皆さんがよく耳にされる

「渕海子平」と原書は、東斉、徐公升の編纂になるものです。

 もし「「渕海子平」を、徐公易(子平)氏が書いたものと

記憶されている人があるとすれば、それは、あやまりです。

 このように見てゆきますと、徐大升氏の渕源定眞論では、

すでに通変星が使われおり、やはり現在的な四柱推命と言えるものの

起りはどうやら五代の人、徐居易氏頃からと言っても

良いのではないでしょうか。

 しかし当時の日干主体の推命法は、四柱八字の干支の生尅と同時に、

古来からの星をも併用していました。このやり方は、

三徐、明代の萬育吾、張神峯、清代初期の陳素庵、

(後年は無神殺に変わっています。)四言集腋の廖氏、

近代徐楽吾、袁樹珊、龔稚川などの各氏に受けつがれ現在に息づいています。

 現在の日本では主にこの方法のようです。

もう一つは、明代を起こした朱元璋の軍師、劉基伯温と言う人が

残した滴天髄です。

 この内容は、干支の生尅の情を重視し、陰陽の変を言い、格を集約し、

すべての神殺星を排除してあります。これは画期的な方法で、

後世の人は無神殺論と呼び、現在の中国子平推命の主流を

なしているとも言われています。

 この無神殺論をうけつぐ人には、宝鑑を原編された余春台、

後年の陳素庵、同じ清代、任鉄橅、沈孝膽、韋千里、張耀文の

各氏があげられ、日本でも次第にその支持者が増えつつあります。

 かく言う私もその端の一人です。

 子平学の沿革は概してこのようであり、神殺併論と無神殺論の二つに

大きく分かれているのが四柱推命の流れと言えそうです。

 ここで特に目をひくのは、今から約六二〇年も前に初めて

無神殺論を展開した劉伯温氏であり、

後年になって無神殺論に変わった陳素庵氏であります。

 両氏は渕海子平に精通し、なお無神殺論を支持しました。

そしてさらに言いたいことは余春台氏を初め、清代以後の殆どの人達が、

その両方に精通しながら、それぞれの論を展開していることであり、

いかに旧説と言えども、あくまで神殺が主体ではないと言う事実です。

 こうした中でさらに私が興味をひかれるのは、

前述にあげた徐楽吾氏などを含む清代迄の先輩達の殆どが、

占術のプロではなかったと言うことです。 

 これは何を意味するのか。

 それは各種の占術の中でも、子平学は運命学として真に興味深く、

価値があると各氏は思われたのではないだろうか、

それならばこそ無神殺派の人達は、占術の主役である星々を排除し、

天地の自然と人間との、リズムの同体化を重要視されたのではないかと、

私にはそう思えてならないのです。

 しかし私は劉伯温氏の生涯を知るにつけ、言葉少なく残された

滴天髄の原文の中に、人としての生き方のようなものを

教えられた気持ちがし、なおやがて来るべき21世紀の人々の生き方、

考え方迄、問いかけられているような気がしてなりません。

このような気持ちから、私は子平学だけを専攻し、無神殺論を支持します。

 

又< はじめ >の項では

 原書を見られた先生の中には、たとえば鬼谷子を周末期、

戦国時代の人と記された人がありましたが、もう少しあと迄読んで頂ければ、

戦国時代ではないとあるのがおわかりになったと思いますし、

徐子平を徐居易氏だと記し、陳希夷氏と友人だと言われたりしていますが、

居易氏は五代の時代で、希夷氏は北栄の時代ですから明らかに時代が違い、

友人になれる筈がありません。   

 宋代では徐大升氏が定説であり、陳希夷氏は徐大升氏と

友人であった可能性は考えられます。

 

「平岡滴宝訳 神峰通考 干支対象詩」では、

次の様に書かれています。

 天干体象についての論説で有名なのは、

劉伯温氏の滴天髄、著者不明の造化元論(俗に言う窮通宝鑑)と、神峰通考の

三書であります。しかし内心驚かされことは、

同じ明代でも三者に疎通が見られないのに、

その考え方が似かよっていたと言うことです。

                   f:id:sihoin:20190719142402j:plain

     < 和珞の感想 >

※滴天髄、造化元論、神峰通考が似かよっているとは言え、

異なった解釈は至るところに見受けられますね、

そいったところを見つけて三者の違いを味あう事ができれば、

子平学はより面白味が湧いてくるのではないかと思います。

 この三書は共に上記の通り明代です。

私が興味を持ったのが、渕源定眞論を書かれた北宋時代の徐大升氏の事で、

深書の十天干体象の章では、氏の元理腑の中に現在では「反生反尅の理」

と言われる干関係の特殊性がすでに書かれていたと、

宋代は明代より古く三書の頃よりおよそでも百年以上前の事となります。

勿論大升氏の論と似たものが明代の三書に中にもありますが、

現在でもあまり唱えられてないものあると

感じながら時々重宝に使わせて頂いております。

 

滴宝先生は著書の至る所に 

子平学に関連する時代と先人方の名前を記しては、内容説明をしておられます。

お手元に著書をお持ちの方は、こうした文にも御目を止め読んで頂けますと

子平学をより楽しんで頂けるかもしれません。

 私は恥ずかしい話ですが独自で子平学の、歴史の勉強をした事がありません。

なぜなら滴宝先生の著書には充分にそれらが書かれていたからです。

何度となく読んでいく内先人方の名前、著書名、時代や順序は

頭の片隅に残りました。

先生は子平学だけでなく中国の歴史物には興味をお持ちで、

記憶に残る物としては、陳 舜臣氏、吉川英治氏、井上靖氏の作品を

読んでいた事を思い出します。

 私はユン・チアン氏のワイルド・スワン上下二冊を選び、

誕生日にプレゼントしてとても喜んで頂いた思い出があります。

 

参考文献 平岡滴宝著  「子平学・四柱推命法深書」

     平岡滴宝訳  「神峰干支体象詩」      

          

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/10/06 )

 

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子峰院 和珞の鑑定例No97

 虐められる構図?「身弱だから」とよく耳にしますが、

身旺の方でも虐められ反対に身弱であっても虐められない人もいます。

この方も見た目絶対にその様に見えませんから「虐められる」と言っても

信じて貰えないタイプですが、推命してみれば一目瞭然、信じることができます。

この月干(社会環境の人達)と時干(将来性)の関係性で見る対人関係、

子平学による読み方は現在の師渕宝先生より教わったものです。

 

 

< 命式・女性 >

食   印 比     巳申―支合 生月8月(月令)庚―秋

乙キ 癸ィ庚ィ癸ィ    癸2干丑1支(3)

卯キ 丑ィ申ィ巳ィ    庚1干(令二倍)丑1支(3)

乙 己 庚ィ丙     乙1干卯1支 (2) 

A(日比陰)は6 B食神は2 AはBの三倍だが

癸の地支丑の水の蔵干は癸 2干の癸は湿気で霧、霧は乙に洩気しく

A6マイナスα 対 B2 AはBの三倍以下で内格

用神取法は扶抑法(内格)  格名は内格印綬  用神印綬庚は忌

命式の喜忌は、忌の干支=癸庚と、それに通根する丑        

       喜の干支=乙と通根の卯

< 命式は >

丑の水の蔵干は癸 よって2干の癸は秋の霧。又亥・寅運で巳申が還る時期は

申水の蔵干は壬で癸は雨へと変わる。

〇庚金は癸との関係で錆び、忌で錆びの庚は忌であって印綬の良さを出せない。

〇乙の地支卯は、側支に凍土の丑、蔵干は辛で元気なく乙も元気を失っている。

〇滴宝式五気看法では、木は2、火は0 土は1 金は3 水は3 精神力より

体力勝り、命式中に酷い尅の関係なく、季節は秋、卯もあって命式は冷ではなく

健康面には恵まれるが 火の0よりも卯丑の関係で土の1胃に弱点、

体質は多くを食せないタイプの為、普段は問題ないが秘めた持病の可能性

(時間の経過で肝系にまで大運に注意)。

又基本的体質は、火は0と弱く火運の時期は水からの尅で例え喜運であっても

健康に要注意、しかし喜運命迄の問題とは至らない可能性。         

〇日干癸・年干癸(父親・幼少期・青年期)は日支丑で還流、霧(癸)同士は一つに

なれなくても交わる事が出来る。父親とは意思疎通が出来て縁も深い、

現実でも三人兄弟の末っ子の彼女が父親の面倒を見ています。

又幼少・青年時代の友達とも交流は深くストレス解消に、

しかし忌、時には酷い仲間割れをする事もある。

〇日支丑(伴侶)は、年・月・時を還流、本人の生活態度に理解はあるが、

蔵干己は偏官「一寸やり過ぎではないか」忌の日干を制するところもあり

丑は忌であり窮屈に感じる事も。

月干(社会生活)庚は、時干(将来)の乙を尅してる 警戒心強く表情や表現は

頑なで不器用。庚は側干の癸で錆びて不器用、

よって社会の人達はそうした彼女を馬鹿にし軽くあしらう

(本人は虐められていると感じる)、利用される事も多く上司は

安価に使おうとする(彼女の苦労)。こうした命を持つ人は働き盛り運に

恵まれない人はいずれ社会対して「見返してやろう」と目的意識を持ち

チャンスを伺う人でもある(反骨精神)。

〇生き甲斐は、日干癸(本人)は時干(子供・将来)乙への洩気、

子供の飛躍と晩年は穏かな生活であるが、

その前に自身を侮辱した人達に何とかしっぺ返しをする事が出来ればと

常々考えたのでしょう、きっと・・。

日干霧の性格は大人しく口数は少なく小回りが効く。

忌の印星強くプライド強く賢そうに振る舞うが、

ボロが出やすく人に見透かされ先手を取られる。

 < 大運 > 

◎=最高の時期 〇=喜運 △=現状維持 ✓=忌運 ×=一番悪い時期  

月令は金(庚)、乙運は月干の庚と化金 乙は辛に変わる

93 83 73  63   53 43  33 23 13 03

✓ 〇 ◎ 〇 〇 × 〇 ✓ ✓ ✓     

庚 己 戊 丁 丙  甲 癸 壬 辛  →(年運)丙丁戊己庚

印 殺 官 才 財 倒 傷 比 劫 倒  ←大運の通変星

午 巳 辰 卯  丑   戌 酉  →(年運)辛壬癸甲辛

〇 ✓ △ 〇 〇 × ◎ ✓ ✓ ✓

        解   丑 解 卯 卯  ←支合する命式の地支

(めいしき)                  (解)は解冲解合 

乙癸庚癸                 

卯丑申巳

  庚       < 大運は >

〇3歳辛運は庚との関係で、酉戌は卯を冲・合で無作用にし友達関係では、

疎外感を感じる時期。

喜の時支卯を支合する酉戌運は、何をやっても尽く上手くいかない。

〇13歳壬運は、洗金で忌運であっても気の会う友達もいて楽しい学生生活。

〇23歳癸運は、忌の癸を強め忌運。欲望は強まるが望みは叶わない

※15歳頃より結婚する23歳頃まで、親の援助で文化教室(印星の道)を開くが

 失敗する。

〇28歳亥運は、巳申の支合が還り、亥巳申 忌A4、喜B1プラスされ忌運。

得意になり過ぎでの失敗で切羽詰るような時期。

〇33歳甲運は、乙を強め喜運。38歳子運は、病の丑を支合で喜運。

この10年間は真心で人に接する事で(この頃より介護の仕事をはじめる 

乙の食神の良さを発揮)評価を得られる、経済面でもゆとり(家を新築)。

〇43歳乙運は、庚と化金乙は辛に変わり忌運。丑運は忌の水金を強め忌運。

世間体が気になり(気にしなければならない様な何かが起る可能性)

気を塞ぎ経済的にも苦しい時期。この10年間は最悪で前10年間との

ギャップもあり非常に苦しい時期となる。住宅ローンに苦しんだ可能性がある。

こうした時期は健康にも注意。

〇53歳丙は喜の財運、無根のためマイペースで仕事に挑むが、癸とは激 

忌の庚を弱めるには力不足 苛立ちが有る。この頃介護ヘルパーとして

長年勤めていた彼女は、介護福祉士の資格は取れるだろうか」と依頼を受ける。

丙運からは喜運へと転じ(転角)喜運は長く続き「大丈夫取れますよ」

と返事をする。庚が忌で錆び長年の忌運で勉学は苦手な筈、

喜運からはそれも改善、望みは叶うと見たからです。

しかし乗り物に弱い彼女は、試験会場となる隣の県への移動には

苦痛が伴い数回の失敗は愚痴が自然と多くなるが、

頑張って数回(国家試験は1年に1度)の挑戦で晴れて合格へと漕ぎ着ける。

それから数年後、「貴方が言った様になりました。一度辞めた職場で帰って

来て欲しいと頼まれ、交換条件を呑むと言われましたよ」と連絡を頂く。

それから数ヵ月後「職場を辞めました。上司に散々頭を下げさせて

首を横にばっかり振って思い切りスッカとしたわ。ありがとう!」

と言う連絡を頂きました。人生で一つの目的果たした達成感の声だった。

その為だけにあれだけの努力をしたのかと驚く。

現在は近くのコンビニで、朝早くから働いています。

〇丙丁運は無根、癸水、庚鉄を弱めるには力不足。

〇73歳戊運はは癸を合去、物事は上手く運び、卯から戊の10年は期待が持て、

とても良い時期となる筈です。腐れ縁は切れる。

〇83歳己運は乙に尅されて然程期待は持てない、消化器系を患う可能性。

しかし 卯運は元気の地支、程度を弁えての行動

〇辰は癸乙を強め△、年齢の割には元気

晩年は喜運が続き、時干、晩年の食神乙を育てています。

財運には今一つ恵まれいないが、健康と仕事には恵まれ

生活の為に元気で働き続ける事でしょう。

 

子峰院での鑑定は、五年運でほぼ百歳までの大運と、

 鑑定時の年より10年の年運、性格等、

 大運での象意と、相談内容の回答を対面鑑定は簡単に

 郵送鑑定では勿論詳しくした鑑定書を、必ずお渡ししています。

 大切に保管頂くと一生お使い頂けます。

                                                            f:id:sihoin:20190715142536j:plain

< 終わりに >

彼女は厳しく気休めの推命は通用しない依頼者、

悪くても出た通りを報告すれば納得して貰えます。

「あんたはヤッパ凄い占い師さんだわ」と彼女だけには誉めて貰えそうです。

推命では、福祉業界の一部を垣間見た気がしてなりません。

彼女が介護福祉士の資格を取りたいと思ったのは、

純粋にハイレベルのサービスを提供し、自身の技術を後輩に伝えたいと

言う気持ちからでした。しかし気持ちは何時の間にか陰謀へと、

時干喜乙卯の食神、体は丈夫、この様な人を業界から

摘み出す事はどうなのでしょうか?とても惜しい気がしてなりませんでした。

 

< ブログの参考文献 >

平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」「神峰干支体象詩」

      「子平学・四柱推命法深書」「秘本・子平廣論」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/09/29)

 

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平岡滴宝著「四柱推命の秘則 新訳滴天髄 剛柔論」を読む

剛柔は一ならず、制すべからず者は、その性情をひく。

                                                      

  ( 訳 )                              

 「命式上に出ている各天干そのものの性質は、出合った相手の干によって

夫々強すぎる時と弱い時等、人の性格は違った出方になります。

例えば強い乙や辛の日干を、辛や丁で制しようとすれば、

その人は自分自身を他人の係わりから守ろうとする気持ちが働き、

自然身構えたり負けまいとしてツッパたりする態度が出やすいので

あまり良いとは言えませんが、こう言う時はその人の良さを引き出す様な、

洩気の方法をとれば素直な性格となります。                                

  ( 追補 )                               

 天干論や後述の性情論、神峰通考十天干体象等の十干の性情、

当院の深書等を参考にして下さい。 制すべからざるものを日干とすれば、

制とは主として相生の悪い正官か偏官にあたる干を指します。即ち尅干です。

これは干そのものの、あつかい方の良し悪しを言っています

 例えば乙に対しては丁が良いでしょうし、

辛には壬でいずれも食傷と言う事です。

                                                                                 f:id:sihoin:20190815164116p:plain

< 和珞のもっと剛柔論 >                     

 強い忌の日干を、日干と干関係の悪い偏官(殺)や正官で尅して調節するよりは、

食神や傷官で洩気の方法を取る方が良いと言う事です。

正・偏官は、甲に庚・丁に壬・戊に甲・辛に丁・壬に戊の様に、

日干(本人)からすれば十干の内でも、上司の様に最も怖い干や嫌な干で、

日干・正偏官共に強ければ、強い相手に対し従順ではなくなり反発心や

対抗意識は強まり自然と表情もきつく精神的にも辛くなり、

対人関係でも良い出方をしません。

 一方で食神や傷官は、親しい友達や子供に接する様な

日干から自然に出るエネルギーはサービス精神の様なもので、

自然的で精神的にも樂で笑みがこぼれる様な対応となります。

しかし食傷の場合、日干も食傷も強ければ、押し付けのサービスとなり

相手には迷惑をかける事が多くなるようです。

 上記の説明の乙日に丁の食神の洩気は、乙(本人)を燃やす出方で

自身を犠牲にして丁を強め(やり過ぎ)、日干・丁食神共に強ければ、

乙日らしからぬきつい性格となります。

ですからどちらも強さ次第と言えます。          

 私はこの剛柔論説を、精神面で楽になる為に利用しています。

日干敗財が月令持ちで数支を根に持つ剛情者、しっかりした正官を月干に持ち、

勝気と共に対抗意識を燃やす性格は、自尊心で辛いものがあります。

ですから競争心はかなぐり捨て、出来るだけ自分に制約(官性タイプ)をかけず

自然体(食傷タイプ)でマイペースで樂に生きる様にしていますと、

人間関係も自然と上手く行くような気がしてなりません。

 

滴天髄は、明代を起こした朱元璋の軍師、

      劉基伯温と言う人が残されたものです。

 

( 滴天髄の訳本や註釈本で、新訳滴天髄の参考文献の一部 )

清代の初め  陳素庵氏  「滴天髄輯要」(註釈本)

その後    任鉄焦氏  「滴天髄徴義」(訳本)

近世     徐樂吾氏  滴天髄徴義を更に①註釈や②補註を書物に

近世     袁樹珊氏  「專闡微」滴天髄徴義を更に註釈

 

( ブログの参考文献 )                          

平岡滴宝著「新訳・滴天髄」「子平学・四柱推命法深書」

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/09/20 )

 

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子峰院 和珞の鑑定例No96

 テレビで御本人を拝見した時は面白さの中に、不思議さを感じる人で

興味を持っていました。暫く画面では見る事が少なくなっていましたが、

先日テレビで拝見、話を聞いていて推命の勉強をさせて頂く事に。

この方は関西のお笑いタレントで、画家の道を選びタレント活動をしばらく

休んだりしていましたが、タレント活動の拠点である会社は在籍を続けています。

あくまでも推定時での推命です。

< 命式・男性・推時 > 今年56歳 

時 日 月 年     生月1月節前 月令癸 季節(冬)

劫   官 才     辰酉―支合

戊キ 己キ 甲ィ癸ィ    戊癸2干0支 (2) 

辰 酉 子ィ卯ィ    甲(強化)3干1支(4)

戊 辛 癸ィ乙     癸月令1,5干1支 (2,5)

 

A比劫2 対 B官財6,5 BはAの四倍以下で内格

用神取法―扶抑法・内格   格名―内格正官格

Bの正官・偏財が強く忌になる 子は偏財に、卯は正官に通根で忌。

Aの戊己は喜。

< 命式は >

季節は冬! 癸は雪。甲は日干己と強化の干合で三倍の強さであるが、

根卯は、細く短い上に側支の子に冷やされ、冬木でもありあまり元気のない

甲木である。日干己は、劫財(応用力・協調性)戊が側干で双方無根、

戊は山であり、己は裾野と一体化して雪が降り積もっているため、

真っ白な雪山を荒らされる事を嫌がり人間関係では好き嫌いがあるが

(傷官の様な)、自身の徳の為には劫財の協調性で努力をする人。

元気がなくても強化三倍の側干甲木は、日干己土(本人)には怖い

相手であるが、戊山で社会生活を送る為甲木からの尅は軽減される。

結果、将来性(時干)戊と季節そして運周り(逆行)に助けられた人です。

時干喜の劫財の将来性に助けられ運が良い人は、

良い人との出逢いがありそうした人との付き合いは長きに渡り、

陽干将来性の劫財は経験を積む事によって器の大きな人の

可能性があります。出逢う人は、戊の様な人で本人より大物の可能性。

甲木の状態や印星が蔵干にも含まれていない事などから、

思考力の弱さと無根の日干劫財等から、感じたままを即表現は

奇怪な行動性で、良い意味でも悪い意味でも他人を驚かせる事が多く、

良い意味では奇才な食神の様な出方となり、

将来性の戊が経験学習とつなげて行くます。

 

< 大運・逆行 >

98 88   78   68   58 48 38 28  18 08  

✓ ✓ ▲ 〇 〇 〇 〇 △ ✓ ✓

甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬    →(年運)壬癸甲乙丙

官 殺 印 倒 劫 比 傷 食 財 才   ←大運天干の通変星

寅  辰 巳 午 未 申 酉 戌    →(年運)丁戊己庚辛

✓ ✓ ✓ △ 〇 ▲ ✓ 〇 △ ✓

  解     子     卯 解     ←冲・合する命式の地支

                       (解=解冲解合)

< 大運は >

幼少の頃は言葉が遅かった様子。      

〇8歳からの癸運は、時干戊を合去、表現は少なくぎこちないと推定。

〇13歳亥運は、年干忌の癸財を強め忌運、高校時代は虐めっ子の脅しで

利益団体に迷惑をかけ、損害賠償を請求され両親が多大な負債を負った。

〇18歳壬運は、月令は癸(陰干)忌財三倍運だが時干無根の戊が頑張りを

見せるが、かなりきつい下積み生活。多くの出逢いがある。

8歳から22歳迄の十五年間は、生命の危機があってもおかしくない

時期だが、23歳からは長期間喜運に恵まれ時干の戊に救われている事から

そこまでは至らなかったと考える。

戊の救いとは、本人にとってはヒローの様な人で困った時に現れ

救いの手を差し伸べてくれる様な人でもある。

〇23歳戌運は、酉辰の冲を解きABどちらも2ずつ強め△、

土も木も元気になりきつい時期だが、思考力の強まりと共に結果は悪くない。

〇28歳辛運は、辛は無根、憎き甲木に刃を向けるには力不足だが、

戊が辛を生助、甲をキャンパスに辛を鉛筆・筆変わりに生きた証を残す

希望が生まれ、絵を描き始め高い評価を受け本格的に絵の道へと。

〇33歳酉運は、卯と冲甲を弱め喜運。

〇38歳庚運は、無根ではあるが、直接地位獲得を狙い

(甲木を庚(鉈)で切る努力)タレント活動を開始。

〇43歳申運は、忌財癸を強め忌運だが、10年運の庚を助け、

喜運にはさまれてそう悪くは無いが、ストレス解消の為浪費傾向。

〇53歳からの未運は、土と木を強め△だが、土と甲は還流で木尅土で

この命では土には不利、努力の割には成果は上がらず。

本年は56歳、暫くやめていた絵画を再会、評価を受ける。

                                                       f:id:sihoin:20190715142536j:plain

 < 今後は >

戊・午・丁と大運は進み、

〇戊運はの年干癸を合去、過去の活動が評価され借財は解消の可能性。

〇午は月令の根源である忌の子を冲で喜運、思わぬ収入の予測。

〇丁運は、甲木を洩気で弱め喜運だが、甲は湿木で燃え難く

思い通りに行かず無理を強いられるが、結果は土を強めて良い時期。

〇巳運は、閑支で△。年干の庚辛を強める。

〇丙運は、Aグループで喜の印綬で無根の冬の太陽、甲木を逆生、

癸の雪を溶かす作用としては弱いが、年齢は78歳、事象としては

「無駄な悪足掻き」で無理が推定できる。

〇83歳の辰運は、水木土を強め忌運、命式は強めまり土の上質になるが、

カリスマ性が消えあれこれと思考はめぐらせても、

本能的な持ち前がなくなる可能性。

大運は大きな流れと、説明を要するほどの良し悪しは大事にしていますが、

事象の説明の方が大事な時が多く、鑑定書では書き洩れがない様に

何時も気を配っています。

〇93歳卯運は、辰酉の支合を解き三支とも作用する、

土を1、甲癸を3強め忌運、

※己土に取って戊山の喜の劫財は、強い味方で、この命式は単純に見えて

複雑です。雪山は人見知りの「傷官」を見せ、

根なしの日干劫とは甲の関係で「食神」の様子を見せ、

戊劫財から甲は「偏官・殺」の様子など(まだまだ有り)見せ、

情を感じさせ複雑性をたっぷり備えた命式です。

 

< 酉辰の支合は内助の功を示す >

例えば辰が支合でなく、作用して水木土を強めて元気であれば、

奇才やカリスマ性はなくごく普通の人の筈で、辰を無作用にする酉、

伴侶は「奇才・カリスマ性を守る内助の功、気遣いが出来る」の人。

日支の支合が解け忌運は夫婦間に問題が生じる時期で年齢的にみて健康面。

こうした時期は何時の時であっても留意の時期となる。

伴侶とは辛(食神)運に結婚しています。

 

( 最後に )

 占術家はよく「良い命式・悪い命式」を言いますが、

占術家を目指していない私は「そこんとこが全く持って解らん!」

でございます。

この命は魅力的な命式だと思う反面、

そう思う人は多分少ないだろうとも思っています。

 今回は内助の功と、日支の冲や支合で見る夫婦での

調候に触れてみました。「病は地支にて重く」の言葉がある様に、

地支運での現象は軽い事ばかりでは無く、

依頼者には伝える必要がある時期が誰にもあります。

 

( 参考文献 )

 平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」「神峰干支体象詩」

「子平学・四柱推命法深書」「秘本・子平廣論」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/09/09)

 

子峰院へのお問い合わせはこちら

  ↓   

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子峰院 【最新改訂版 子平学 四柱推命法 皆伝書】

http://sihoin.web.fc2.com/shihei9.html

子峰院ツイート

https://twitter.com/sihoin1

子峰院 和珞の鑑定例No96

  テレビで御本人を拝見した時は面白さの中に、不思議さを感じる人で

興味を持っていました。暫く画面では見る事が少なくなっていましたが、

先日テレビで拝見、話を聞いていて推命の勉強をさせて頂く事に。

この方は関西のお笑いタレントで、画家の道を選びタレント活動をしばらく

休んだりしていましたが、タレント活動の拠点である会社は在籍を続けています。

あくまでも推定時での推命です。

この方の誕生日は元旦で、占術者の方からは疑う声が聞えますが、

名付け(本名)のエピソードと推命結果から生日は間違いない確信しています。

 

 

< 命式・男性・推時 > 今年56歳 

時 日 月 年     生月1月節前 月令癸 季節(冬)

劫      官 才     辰酉―支合

戊キ  己キ  甲ィ癸ィ    戊癸2干0支 (2) 

辰 酉 子ィ卯ィ    甲(強化)3干1支(4)

戊 辛 癸ィ乙     癸月令1,5干1支 (2,5)

 

A比劫2 対 B官財6,5 BはAの四倍以下で内格

用神取法―扶抑法・内格   格名―内格正官格

Bの正官・偏財が強く忌になる 子は偏財に、卯は正官に通根で忌。

Aの戊己は喜。

 

< 命式は >

季節は冬! 癸は雪。甲は日干己と強化の干合で三倍の強さであるが、

根卯は、細く短い上に側支の子に冷やされ、冬木でもありあまり元気のない

甲木である。日干己は、劫財(応用力・協調性)戊が側干で双方無根、

戊は山であり、己は裾野と一体化して雪が降り積もっているため、

真っ白な雪山を荒らされる事を嫌がり人間関係では好き嫌いがあるが

(傷官の様な)、自身の徳の為には劫財の協調性で努力をする人。

元気がなくても強化三倍の側干甲木は、日干己土(本人)には怖い

相手であるが、戊山で社会生活を送る為甲木からの尅は軽減される。

結果、将来性(時干)戊と季節そして運周り(逆行)に助けられた人です。

時干喜の劫財の将来性に助けられ運が良い人は、

良い人との出逢いがありそうした人との付き合いは長きに渡り、

陽干将来性の劫財は経験を積む事によって器の大きな人の

可能性があります。出逢う人は、戊の様な人で本人より大物の可能性。

甲木の状態や印星が蔵干にも含まれていない事などから、

思考力の弱さと無根の日干劫財等から、感じたままを即表現は

奇怪な行動性で、良い意味でも悪い意味でも他人を驚かせる事が多く、

良い意味では奇才な食神の様な出方となり、

将来性の戊が経験学習とつなげて行くます。

 

< 大運・逆行 >

98 88   78   68   58 48 38 28  18 08  

✓ ✓ ✓ 〇 〇 〇 〇 △ ✓ ✓

甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬    →(年運)壬癸甲乙丙

官 殺 印 倒 劫 比 傷 食 財 才   ←大運天干の通変星

寅  辰 巳 午 未 申 酉 戌    →(年運)丁戊己庚辛

✓ ✓ ✓ △ 〇 ▲ ✓ 〇 △ ✓

  解     子     卯 解     ←冲・合する命式の地支

                       (解=解冲解合)

 

< 大運は >

芸術の才能につきましては、食神・傷官又は印星の透干が

必要とされますが、「時(大運で食傷印運)の利と目的意識(無意識でも良い)が

あれば、必然的に才に恵まれる」と、滴宝先生は著書で書いておられます。

 

幼少の頃は言葉が遅かった様子。      

〇8歳からの癸運は、時干戊を合去、表現は少なくぎこちないと推定。

〇13歳亥運は、年干忌の癸財を強め忌運、高校時代は虐めっ子の脅しで

利益団体に迷惑をかけ、損害賠償を請求され両親が多大な負債を負った。

〇18歳壬運は、月令は癸(陰干)忌財三倍運だが時干無根の戊が頑張りを

見せるが、かなりきつい下積み生活。多くの出逢いがある。

8歳から22歳迄の十五年間は、生命の危機があってもおかしくない

時期だが、23歳からは長期間喜運に恵まれ時干の戊に救われている事から

そこまでは至らなかったと考える。

戊の救いとは、本人にとってはヒローの様な人で困った時に現れ

救いの手を差し伸べてくれる様な人でもある。

〇23歳戌運は、酉辰の冲を解きABどちらも2ずつ強め△、

土も木も元気になりきつい時期だが、思考力の強まりと共に結果は悪くない。

〇28歳辛運は、辛は無根、憎き甲木に刃を向けるには力不足だが、

戊が辛を生助、甲をキャンパスに辛を鉛筆・筆変わりに生きた証を残す

希望が生まれ、絵を描き始め高い評価を受け本格的に絵の道へと。

(格名は、内格正官格 チャンスがあれば忌の正官を攻撃、

地位獲得を狙います。

〇33歳酉運は、卯と冲甲を弱め喜運。

〇38歳庚運は、無根ではあるが、直接地位獲得を狙い

(甲木を庚(鉈)で切る努力)タレント活動を開始。

〇43歳申運は、忌財癸を強め忌運だが、10年運の庚を助け、

喜運にはさまれてそう悪くは無いが、ストレス解消の為浪費傾向。

〇53歳からの未運は、土と木を強め△だが、土と甲は還流で木尅土で

この命では土は不利、努力の割には成果は上がらず。

本年は56歳、暫くやめていた絵画を再会、評価を受ける。

                 f:id:sihoin:20190715142536j:plain

 < 今後は >

戊・午・丁と大運は喜運と進みます。

〇戊運はの年干癸を合去、過去の活動が評価され借財は解消の可能性。

〇午は月令の根源である忌の子を冲で喜運、思わぬ収入の予測。

〇丁運は、甲木を洩気で弱め喜運だが、甲は湿木で燃え難く

思い通りに行かず無理を強いられるが、結果は土を強めて良い時期。

〇巳運は、閑支で△。年運の喜の庚辛を強める。

〇丙運は喜の印綬の筈が、Aグループで喜の印綬で無根の冬の太陽、

甲木を逆生して忌運、調候は癸の雪を溶かす作用としては弱いが、

年齢は78歳、試行錯誤で無理をして、結果自身を制約する事になる可能性。

〇83歳の辰運は、水木土を強め忌運、命式は強めまり土の上質になるが、

カリスマ性が消えあれこれと思考はめぐらせても、

本能的な持ち前がなくなる可能性。

 

命式半分を見れば元亨利貞は、年月柱は忌 日時は喜 還流・源流無く

二分して、中年以降は良く大運も流れがよく似て喜。この様な人は自身で

道を切り開いて行くタイプで、今後の御活躍がとても楽しみな人です。

 

大運は大きな流れと、説明を要するほどの良し悪しは大事にしていますが、

事象の説明の方が大事な時が多く、鑑定書では書き洩れがない様に

何時も気を配っています。

 

〇93歳卯運は、辰酉の支合を解き三支とも作用する、

土を1、甲癸を3強め忌運、

己土に取って戊山の喜の劫財は、強い味方で、この命式は単純に見えて

複雑です。雪山は人見知りの「傷官」を見せ、

根なしの日干劫とは甲の関係で「食神」の様子を見せ、

戊劫財から甲は「偏官・殺」の様子など(まだまだ有り)見せ、

情を感じさせ複雑性をたっぷり備えた命式です。

 

< 酉辰の支合は内助の功を示す >

例えば辰が支合でなく、作用して水木土を強めて元気であれば、

奇才やカリスマ性はなくごく普通の人の筈で、辰を無作用にする酉、

伴侶は「奇才・カリスマ性を守る内助の功、気遣いが出来る」の人。

日支の支合が解け忌運は夫婦間に問題が生じる時期で、

年齢的にみて伴侶共に健康面でも、

こうした時期は何時の時であっても、色んな観点から留意が必要です。

伴侶とは辛(食神)運に結婚しています。

 

( 最後に )

 占術家はよく「良い命式・悪い命式」を言いますが、

占術家を目指していない私は「そこんとこが全く持って解らん!」

でございます。

この命は魅力的な命式だと思う反面、

日干は無根の上、偏官(殺)の強さ等からパッと見、ため息が聞えそうで

そう思う人は多分少ないだろうとも思っています。

 今回は内助の功と、日支の冲や支合で見る夫婦での

調候に触れてみました。「病は地支にて重く」の言葉がある様に、

地支運での現象は軽い事ばかりでは無く、

依頼者には伝える必要がある時期が、必ず誰にもあります。

 

( 参考文献 )

 平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」「神峰干支体象詩」

       「子平学・四柱推命法深書」「秘本・子平廣論」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/09/09)

 

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