彼女は郷里の実家近くの人で両親共有の友人であった「あんた、
なんか占いしちょるって聞いたけんど、いっぺんおばちゃんも、
これからどうなるんかみちくれんな。」と頼まれたのは彼女が80歳前後の頃で
あったと思います。彼女は大の仲良しであった私の母が忌って1ヵ月後、
彼女も亡くなってしまいました。
身近な人を推命する事により 子平学における運勢の検証が可能となり、
次の鑑定に有効に生かす事ができ、私の好奇心も途轍もなく膨みます。
子平学 四柱推命 運命学
< 命式 > (1924・9・29・戌時生まれ 女性)
時 日 月 年
印 食 財 辛1干2支 月令3,5
戊ィ辛ィ癸キ 甲キ 戊1干1支 2
戌ィ亥キ 酉ィ子キ 癸1干2支 3
戊 壬 辛ィ癸 甲1干1支 2 印日干5,5 対 食財5
格名 内格、(忌)建禄格
< 命式から >
〇年干甲・正財は、根に亥(冷たい水・木)の根は長く細い 丙(太陽)の透干がなく
元気の無い甲木で大木ではない。癸とは、側干で亥を通し還流関係性が深い
が甲木の水分は充分足りている為 癸水を吸収しないし辛金は癸水を強めない、
よって技術を磨く事(技術の向上)や、食神を活かして利財にはつながりにくい。
又 日支亥が通根して日干(本人)本人との関係性は弱く無い、喜忌変遷の運が多く
喜財になったり忌財になったりする、年干は父親の財でもあるが辛金はナイフで
甲木はナイフに取っては大木である為、財縁は薄く援助も得られにくい。
〇月干癸・食神は、地支に冷たい子と亥が通根、亥の蔵干は壬で深い壬水
よって、天干癸は亥の壬を強めるため冷たい雨。癸食神(表現力)は、子の地支を持
ち一言多い、日干辛と癸のバランスは交際力はあるが、癸辛は湿金で曇っている為
スッキリせず理解が得られにくい面があり、
言葉による人間関係のトラブルの恐れ。
〇日干辛と月令辛で建禄格、手法は1つでワンパターン工夫の気持ちは無く
自己満足で終る。
側干に癸と戊で湿金汚金、酉戌2支で珠玉・金・銅の内 銅である為 汚い事
や体を動かす事をいとわない働き者で、自身を良く見せたという気持ちは無い。
又湿金汚金は回りが見えず視野が狭く、日干は建禄、せっかちで事故の
可能性が強い。
日干辛の特徴は精神性の敏感さで些細な事を気にする。
〇時干戊は戌の根を持ち 燥土の山、癸の雨雲と戊山は高さがあり側干でなく
ても燥山戊(印綬)は癸(食神)の雨をゆっくり吸収する、又地支戌(蔵干=火土金)は
側支の亥(蔵干=水木)の水をゆっくり吸収する、
よって時柱の戊(印星=思考力や知力)は、全くの燥土の山では無く
印星(戊)は食神(癸)(技巧やサービス精神)を利用して、目標も仕上がりも几帳面で
丁寧な仕事で金銭欲では無い。
(燥土の山でない為、肩凝りなど凝りの症状は全く無い)。
〇辛(本人)に戊(印綬)の知恵袋は大き過ぎ全てを把握 知っておかなければならない 戊は辛を隠し護り、日干強く人に良く見せたい気持ちより
カッコ悪い(辛の弱さ・臆病・失敗等)ところを、人に見せない知られたくない
気持ちが強い人(弱みを見せないツッパリと頑張りの効いた辛抱強さ)。
辛と戊の干関係性 (鉱石は山にあり)は良い。戊山に逃げ込む様子は、
現実には気に入らない事があれば自室の布団に潜り込み出て来ないなど、
しかし引篭もり等の心配は全くない それは1に日干が強い、2に印星が透干、
3に日干が月支(社会運)に地支をもっている三点もの要素があり
絶対にありえない、社会へはどんどん出て行きたい人である。(社交性)
〇印綬・食神・建禄の仕事は、丁寧な仕上げだが デザイン等に工夫がなく
最初の評価は高いが 時間と共に下がっていき人気を失う結果となる。
(もし、ひと工夫の提案をすれば受け入れその努力をし
現状以上の創作が可能となるはず)
〇夢は、時柱・干戊(将来性・子供)や地支戌(終は子供や孫)、戊戌山に囲まれ護られ
元享利貞は60歳以降の晩年を過ごす事。
< 大運は >
Aグループとは、日干比敗印 Bグループとは、食傷財官
命式はAグループ日干印の方は0,5強く忌 AとBグルプの差は0,5で1干又は1支で
Bグループ強めれば喜忌変遷運となる為喜運は少ない、下積みの人である。
運では庚(鉈)が同気であっても、この辛(銅-柔らかい)に取っては一番恐い相手で
忌運である。
忌運であってもBが弱まる運やAが強(庚以外)まる運は、心身共に健康で
庚が係わる運に比べれば体を動かす事が出来るだけかなり まし と言える。
< 大運 >
7 17 27 37 47 57 67 77 87 97
忌 忌 忌 忌 忌 忌 忌 忌 忌 忌
壬 辛 庚 己 戊 丁 丙 乙 甲 癸 年運→辛壬癸甲乙
傷 比 劫 倒 印 殺 官 才 財 食
申 未 午 巳 辰 卯 寅 丑 子 亥 年運→丙丁戊己庚
忌 喜 忌 忌 △ △ 忌 忌 △ △
戊辛癸甲
戌亥酉子
辛
< 大運から >
〇7~11歳壬(忌正官):Bに1増 バランスはBに傾き忌、癸は壬を強め冲天奔地
壬癸子亥で甲は浮き戊は山崩れ命式全体が弱り 辛は壬で洗金賢く大人しく外見は
良く見えても 家庭、精神面での不安定で辛い時期。
〇12~16歳申は辛と癸に通根するが 多い兄弟達が進学するがこの方だけが
しなかった、何故か金の方局(申酉戌)が揃う、申の調候は月支(辛の根)酉を
弱める、仲間達からの虐めを恐れたと推測、家庭で家事を手伝う。
〇17~21歳辛(比肩)忌運 日干を強める時期気力の充実と 日干辛に行運の辛の
象意は、人間関係は柔らかい者同士で互いに気遣いながらの交際で、
不安がない時期。会社勤めを始める。(気の合うライバル・友人の存在の可能性)
〇22~26歳未運は 戊と甲に通根し木尅土で 忌の印を喜の財を尅す形
(蓄財が増す・名誉=結婚)大きな農家で大家族の長男(兄弟多く同居)に嫁ぐ
〇27~31歳忌の庚運(辛ナイフに取っては鉈運)が五年間続く 幼な児を二人亡くし
家族に攻められ針のむしろの立場となり 身も心もズタズタになった時期。
伴侶の兄弟の寝タバコが原因の火事で半壊に遭遇(人生最悪の時期であった)
〇32~36歳午運、午は年支喜の子を冲で忌運、子は喜の癸にだけ通根(専気)し
この命式では薬 薬子を無作用にする運は ひどい庚運の延長線上で心臓を患い
(ストレス性)二人の子供を舅姑に任せ寝たきりになる。
〇37~41歳己忌運は、年干喜の甲財を合去で忌運 年干は父親を意味し日干辛
(本人)と甲の干関係が悪いのにも係わらず 仲良しの親子だったと聞き疑問を
感じた。女性日干辛は己(濁辛)運は性被害に遭いやすく、相手は身近な人であった
りする最悪の時期になりやすいが ひどい調候から救う年干甲(父親)との関係は
悪くはならない。調候は喜財を合去して出費が多い、又年干(父親=実家)の
大きな変化。現実では実家の跡取りの弟が子供四人残し肝硬変で亡くなる、
以後死ぬまで実家への援助を続けたらしい。
健康面では日干辛には 変動少なく床に就く事もなくなり手内職
機械編み(賃編み)を始めるが上記の通りでだんだんと客足が遠のく。
〇42~46歳巳運は 日支喜の亥と冲で忌運 癸を弱め雨から霧(湿気)へと変わる
現状はあまり変わらず。経済的な事があり現金収入を求め社会進出
造船所の下請けの塗装会社に勤める。
〇47~51歳戊運は 喜の月干癸(食神)を合去で忌運、雨は上がり自身の事がよく
見える状態で忌運でも、失敗の少ない時期となる。頼めばキッチリとした
仕事が認められ大きな船のネーム書きを任せられる。
それはおおきな足場があるが危ない仕事、何十メートル下は海へと続く
造船所のドッグ内(水ははってあったらしい)。
高技術、ハイリスクの割には低賃金。
〇52~56歳辰運 62~66歳歳卯運は月支忌の酉を支合、冲で無作用にするが
バランスはBへと傾き喜忌変遷忌運 しかし 辰が作用する時期は木水土に
通根し変動は大きくどちらかと言えば、良い冲と言え調候的には悪くはない。
〇57歳丁(偏官)は戌が通根でバランスはBに喜忌変遷運で忌運 喜の辛を弱める。
〇67歳からの丙(正官)運は、日干辛と絆神の干合 丙は三倍に戌が通根喜忌変遷運
で命式は大きく変動 伴侶を失った。 どちらの火運とも 命式は雨が降っており
健康的にはひどい調候ではなく 52~61歳は勤務を続けるが足場から
崩落する事数回 自転車で自動車への体当たり一度と事故を起こすが命の問題には
至らず、恥かしさのため事故を小さく報告する。
〇62歳の卯運は 月支(社会環境)の酉を冲 支合より冲の方が酉を無作用する作用
は強く社会から退き(跡継ぎ息子が嫁・孫を連れて帰郷家を継ぐ)退社。
〇その後 晩年は共働きの息子夫婦や孫の世話に追われる。
〇92歳からの子運は癸に通根 Bに1プラス喜忌変遷で忌運 93歳旅立った、
元々火は戌にだけ頼り、癸の水は子亥の通根で冷たい命式に子の冷たい地支で
冷たさが増し年齢的にも仕方ない事かと・・・
彼女は希望通り最後まで子供や孫に囲まれ生活が出来た。
※大正後半に生まれ 青春を戦争、戦後と時代的な事もあるが波乱万丈の
人生を送った、なんて苦労ばかりと思ったか思わなかったか定かでないが、
命式は日干辛を成約する干がなく食神が透干の自由思考、印綬の泣き笑い
何時も晩年を夢見、そして実現、喜怒哀楽を充分に楽しんだ人生、
成約のある命式に比べれば幸せな人である。
実際農家に嫁ぎながら、農繫期だけ手伝えば残りの時間は自由に使え
誰からも何もいわれなかったらしい。
本人は恐らくその自由を実感していないだろうと推測。
※虐めを心配して進学を残念、己運の実家の大きな変動の二つの可能性を
口にした時には、彼女は目を丸くして驚いていた。
「あんたは、良い仕事をしちょるな~」と
私が産まれた時、母の出産を手伝ってくれ それ以後長い付き合いだった
明るいおばちゃんに「ありがとう」そして「またね!」と別れを告げよう。
( 子峰院 推命士・和珞の鑑定例 No44 2018/07/14 )
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