子峰院 和珞の鑑定例No94

 この方は、昭和の始めから終わり頃までの半世紀以上に渡りお産婆さん

「今で言う助産師」として活躍された方です。免許を取ると直ぐに独立

数人の女性スタッフを抱えて開業、戦後の30歳後半からは、

ベビーブームの時代を乗り越え、重大責任を果たされました。

貧しい方からは其れなりに、時には無償で妊婦さんを支えました。

出産を諦め方の中には考えを改めて無事出産。

思いがけない妊娠で苦しむ女性の相談、養子縁組の紹介などと、

悩める多くの女性達に尽くしました。

数多くの出産介助は無事故で、極めて稀なる人です。

ある時期には、国際的な賞の候補にも上りました。

( 子平学・四柱推命・運命学 )

 

< 命式・女性 >   1912(大正元年)年生まれ

時 日 月 年     生月1月 月令-己 季節-冬

印 比 殺 殺     丑未午―解冲解合

壬ィ乙ィ辛キ 辛キ     乙1干2支 (3)

午△未ィ丑△亥ィ    壬1干2支 (3)

丁 己 己ィ壬     辛2干1支 (3)

A印比6 対 B偏官3 格名=内格・偏官格

体は乙 扶抑用神は辛

(命式の喜忌は)Aとは、日干比劫印 Bとは、児財官

〇Aが強く乙壬が忌 それに通根する亥未は忌

〇Bが弱く、辛は喜、丑は辛と壬に通根で△ 午は閑支で△

 

< 命式は >

壬は湖・海  乙は草花  辛は2干乙の側干でもあり鋏

〇辛の鋏と日干(本人)乙草の関係は最も悪く、乙に取って2干1支の

辛は怖い相手。

〇乙と壬との関係は,戊の透干無くで漂浮草(辛からの抵抗力)

辛からの強い干渉を受け苦労人ではあるが、それを浮漂で上手く交し

要領良く、辛殺を怖がらず、度胸あって怖いもの知らず

加えて自身を目立たせる行動が多い人

〇乙壬亥午=闇夜の浮く乙に、微かな行燈の光(午、蔵干丁)が、

足元を照らす様子で「追水桃花」男性の気を引く魅力の持ち主

〇辛殺⇔壬印 洗金で大きな望みの持ち主 「金多ければ水却って濁る」

と言われ濁水で 野望があって野心家、地位、名誉共に欲しい人

諦め悪く我慢強く、自身を実力以上に過信して無理をしがち。

〇月令は己の偏財、財欲強く無理のし過ぎ傾向

〇辛殺から 浮漂で素早く逃げる俊敏さ、辛の鋏で紙(乙)を切るような

速さの俊敏、俊敏でせっかち、動く事が好きで働き者。

〇辛殺に汚れなく、喜で嫌味無く強さ的にも、下の人や弱者に優しい人。

〇この様な性格の人は、忌運長引けば人に甘く見られ、

他人から迷惑をかけられたり、騙される事が多くなる。

自身を良く見せる必要の無い人には、きつくなれる性格ですが、

対称者は少なく息子の伴侶ぐらいでしょう。

息子は一人、既婚者で伴侶は苦労された事でしょう。

(もう一度命式)

時 日 月 年     

印 比 殺 殺     

壬ィ乙ィ辛キ 辛キ     

午△未ィ丑△亥ィ     

丁 己 己ィ壬 

 

< 大運 順行 >

95 85 75 65 55 45 35 25 15 05

〇 〇 ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓ ✓

辛 庚  戊  丙 乙 甲 癸 壬   →(年運)丙丁戊己庚

殺 官 才 財 食 傷 比 劫 倒 印   ←天干運の通変星

亥 戌 酉 申 未 午 巳 辰 卯 寅   →(年運)辛壬癸甲乙

✓ △ 〇 ✓   〇 ✓ ✓ 〇  

        丑 未 亥     亥  ←冲・支合の命式の地支

 

壬は忌、しかし日干(本人)乙に取って側干の辛は怖い存在で、

仮に壬の透干が無ければ、身弱傾向で助産師の様な仕事は無理でしょう。

浮き漂い辛から逃げる事によって出来た仕事と言えます。

ですから壬水の変化が少ない時期は、忌運であっても苦労を苦労とも

感じること無く、元気で働けストレスも少ない時期となります。

(壬の印綬は忌であっても、良い働きの為、賢い人です。)

 

< 大運の喜忌の取り方 >

〇命式喜の干を強めたり、忌の干を弱める時期は喜運。

〇喜の干を弱めたり、忌の干を強める時期は忌運。

〇忌の地支を、冲・支合で無作用とする時期は喜運。

〇喜の地支を、冲・支合で無作用とする時期は忌運。

〇丙は、年干喜の辛を合去で忌運 養母を亡くす。

※喜忌変遷や破格となる時期は、命式は大きく変動忌運となる。

 

< 大運の喜忌の取り方とポイント >

ポイトとなる時期は、丁運、未運、未運、戊運、己運があります。

ここでは丁運と未運の説明をします。

〇丁は、時干壬を合去 日干1干2支(3) 偏官(殺)2干1支(3)と

日干3 対 殺3 と両神成象格となり、

この場合は強い方が忌の干になります。よって辛が忌となり、

喜忌変遷で忌運。日干乙は浮けず、直接辛に尅され地位・財的支障が

起きる調候とストレスの運となります。

〇未運は、月支丑と冲、日支未と時支午は支合となり、

命式の地支は乙壬を強める亥のみが残り忌運。

 

 

< 大運と現実事象 > 

〇5歳からの壬運は 浮きが進む運で忌運、兄弟姉妹が多く農家の末っ子、  

子供のいない叔母の家に幼女に出される。

〇15歳から24歳の癸・卯運の忌運は、軍医である義父から勧められ

産婆(現在の助産師)の資格を取る。ある出逢いによって子供に恵まれるが、

私生児として育て苦労の始まりとなるが、義理の両親の助けによって

助産院を開業。

〇33歳辰運で第二次大戦開戦、38歳終戦でした。「産めよ増やせよ」と

忙しい時期でした。戦後もベビーブーム等と言われて忙しさが続きます。

日本はまだまだ貧しい時代、物資も足りない中での出産は、

一人で判断、一人で分娩介助を行いました。

〇50歳以降、出産を希望する方達は助産院から産婦人科医へと向かう様になり

仕事は半減したそうですが、男性医師よりは女性の助産院を望む人も

少なくなく数人のスタッフと本人の生活には困る事は無かったそうです。

75歳からの己運は僅かながら喜忌変遷、壬水は己土の強さの関係で泥流、

壬の流れは滞り乙は己土に根をおろそうと、辛からの尅を受けます。

辛は壬と丑の還流で泥土を浴びて酷い汚れとなります。

この様な時は年齢的には、あらゆる病気の可能性、

現実では転移性でない複数の臓器の癌を患い、

年運は己、78歳で亡くなられました。

※晩年にこの様な忌財運巡り人の多くは、財産を残さないのが通常です。

この方は、働き盛りかなり稼いだ筈ですが、経済面でも最後は御子息に

頼ったそうです。

この命は壬水次第と書きました。「それなら用神は印綬の壬では?」と

考えた人は凄い!しかし、月干(辛)社会環境の人達の、厳しい要求や、

年干(辛)父親の要求に応え続け、一つの仕事を全うした事は、

用神は辛の偏官で間違いありません。

そして喜の偏官の性格の一つに「下の者に優しい」があります。

 

< 適職について >

 子供達を質の合った職業に就かせた経験から、子平学で素質を見抜く事に

力を入れています。特に適職に就く事は人生に取って有意義な事です。

この命も辛のメスを嫌がらないと言う点では、医療系は適職です。

又地支には午(蔵干丁)、月令は己土の釜戸が弱いながらあって、壬や乙(素材)

や辛の刃物などがあり、料理人でも良いでしょう。

この方も栄養士の免許をお持ちです。命としては薄味です。

又追水桃花で、芸事にも興味を示す筈です。

この方も日舞は師範級だったそうです。御参考にして頂ければと思います。

命式は、多才の類に入ります。

 

 

< 最後に >

スタッフは皆女性、戦争で伴侶を失い子供を抱えた人も数人住み込みで働き、

子供を大学まで通わせたスタッフも長い期間の内には,

多くおられたようでした。

〇上記の通り、55歳頃より壬水に影響を及ぼした上に喜忌変遷忌運が

続きました。無理を重ね年齢的な事もあって足腰の衰え等から

現役から退きますが、離れて行かないスタッフの言いなりで

金の切れ目まで、面倒を見続けたようです。

〇「追水桃花」の命で、異性にはもてますし、本人も興味がある方です。

この方は、息子の父親と後に結婚をし死別しています。

その後遊び相手の可能性はありますが、辛の偏官に汚れなく喜、

本人の地位を脅かす人ではありません、

複数相手はおられたかも知れませんが上手く立ち回った事でしょう。

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( 参考文献 )

 平岡滴宝著 「新訳・滴天髄」「神峰干支体象詩」

「子平学・四柱推命法深書」「秘本・子平廣論」 

 

( 子峰院 占い人・和珞 2020/07/29)

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