創作小説 < アイツ・19 >

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< アイツ・19 >

 まさるは、母校の中学校長であり書道の伊藤先生の許可を得て近所の子供達相手

に書道教室を開設する事にしました。中学時代の同級生や近所の成人女性の希望が

あり、同級生はともかく成人女性は断わろうと思っていたが、先生は「引き受け

なさい、その方達は実力に応じて中学生に仕立上げたら良いですよ。競書誌には

数年中学生で提出した方が上達はかなり早くなりますからね。」とアイデア

頂いての出発となった。教室は土曜日、学校から帰宅午後に月四回

先生に習うのは日曜日月二回先生の自宅を訪ねる事にした。とてもハード

スケジュールとなったが弱音を吐いている時間は無かったが、教室は月に四回に

すれば月一で休めるのでその時は反って有意義に時間を費やす癖が付いた。

 

アイツとは週に何度も帰宅途中橋の手前で待ち伏せに合い、二人の時もあれば

安藤と三人の時もあった。寒い時期は風邪を引かせては気の毒と思い、帰る時間

をわざと遅い時間を伝えて先に帰って貰う様に勤めたりもしたし「学校の都合に

よっては時間通りにならない時はもあるし、そんな時は私忙しいから先に帰るか

らね」と、冷たい言葉で寒い中での待ち伏せを出来るだけ少なくなるように

工夫をした。

それでも橋の近くになると、もしかしたらと心配と期待の複雑で厄介な気持

にさせられたのであった。

 

水産高校に通う安藤、二年生になると実習船に乗り暫くは帰れないから飼っ

ているペットをその間預かって欲しいと言って連れてくる。

最初は二匹のシマリスを籠に入れて連れて、向日葵の種を数日分一緒に持って

きたが、この子達の回し車の遊びは一匹だけの時も二匹で一緒の時もくるくる

と回すのが大好きの様だった。見ていて退屈だろうなと思うが、猫がいるので何時

も安全な所定の場所で我慢して貰う事にした。この子達はどんなに世話をしても人

に慣れないのは悲しいかった。ある日餌をやろうとして扉を開けた途端一匹が

ゲージから逃げ出して、家からも出て近くの畑へと逃げてしまったが見つけ出せ

なかった。

安藤にどう言って謝れば良いのかと泣きたい気分だったが、実習船から帰った

安藤に訳を話して謝ると「謝るのは俺の方だよ。ごめんな」と言ってくれたので

安心した。次の実習船に乗るときにはつがいの真っ白な手乗り文鳥を「預かって」

と連れて来た。断わると「逃げて大丈夫だけど、こいつらは逃げたりはせんよ。

リスとは違って人懐こいし、それで欲しいと思ったらあげるから」

「どんなに可愛くっても忙しいから欲しいとは思わんよ」と言い替えした。

安藤が言う様に籠から出しても肩や頭に乗ってきて可愛かった。自転車に乗る

ときはエプロンのポケットに入れると大人しく入っているし、自転車から降りると

ポケットから出てきてサッと肩に乗ってくる。返す時は別れ辛かった。

「あげようか」と安藤は意地悪を言ったが「要りません」と舌を出して

嫌な顔をして見せた。

 

道教室には

高校生になって将来は銀行員になりたいと話してくれた、燐家の潤子や半島に

住み一週間に一度我が家に泊まりに来る桂子、中学校の時に同じ園芸部で商業高校

では卓球部に入部した美枝が習いに来てくれた。

中学校では読書仲間だった中野君が訪ねて来て、恋人である浜田真知子に習字を

教えてやっ欲しいと言うので、「真ちゃんが自分で来て言ってくらたら良かった

のに」

「高校の授業料は俺が払っているけど今の状況では書道の月謝は払える時もある

し、そうでない時もありそうだから、厚かましい頼みだけど俺の出世払いにして

貰えないかと思って」まさるは、自身が伊藤校長先生との経緯を詳しく話した。

「へー、えこ贔屓して貰っていたんだな」「そう言われればそうだね。

今だから話せるけど習字の道具の他色々と援助して貰ったのは確かね。

だから私も誰かに返せるチャンスがあればお返したいと思っていたから、

今回がそのチャンスね。いいよ すご~く偉くなってで良いからね。私は、中野君

は只者では無いと常々思っているけど返して欲しいとも思って無いから」

「俺は男だぜ、だけどありがてー」と言って喜んでくれた。

 書道教室は、中学校の同級生や下級生が多く、近所の若いご婦人が子連れで

数組習いに来てくれて二十人程が集り、高校生の身ではその人数に毎月悲鳴を

上げたが、潤子や桂子が教室の机出しの下準備や競書時の事務の手伝いをして

くれて助かった。郁も時々顔を出しては皆を郁流で冷かして嫌がられ役を率先

していたが、郁が側にいてくれるだけで元気がになれたのだった。

 

二年生になると、伊藤先生は学校を辞めて定年は数年前だったが教育委員会では

顔だった為現役を続けたいと嘆願して叶った。「満足できたので辞めました」と

嘘か本当か解らぬ事を言っていた。退職した伊藤先生には「平日に習いに来る

ように」と言われて平日にしたが「週二日でも良いよ」と言う「学校生活なんかで

忙しいのです」と言って断われば淋しそうな顔をしていた。

母は、祖父に活花を習い出したが、祖父の大花では無くこじんまりした一輪挿し

とも違うと思えば「茶花かな?」などと「そんな上品な花をどうするの」と聞けば

祖父は「時代はどんどん変わりますよ。若者よ!大志は何処へ行きましたかな?」

と鼻歌交じりに言う。そんな祖父は三年生の始めに2・3日床に就いた跡「皆有難

うな。御蔭様で楽しかったよ」と息絶え絶えに言い残して忌ってしまった。

思い切り泣いた後は「まささんは、笑顔が似合いだから思い詰めた顔をせんほう

が良いよ」祖父の言葉を思い出して元気を取り戻し、気丈に振舞う祖母に勤めて

寄り添った。

 祖父の土曜日のお寺の活花は、母が祖父の跡を引き継いだ。金曜日山へ草木を

採取に土曜日の午前中は自転車の後ろに沢山のそれをくくりつけて出かけて

行くのだと、まさるは学校があるため長期休暇以外はその姿を見る事は出来な

かった。床の間には何時も活き活きとした「茶花?」が活けられていた。

「お花は、花瓶や活け壺なんかに活ける時はね。切る時の鋏の角度で花の治まり

方が違うだよ。お祖父ちゃんは私にそれをみっちり教えてくれた。

近所に娘が二人もいるのに娘ではなくてこの私に、私にね」と言いながら

涙が母の頬を次から次へと伝った。まさるは母の肩をよしよしと

軽くとんとんしたのであった。

 アイツ19 お・わ・り そして つづく

    子峰院・和珞の創作小説でした。

 元来占いに拘る方ではありませんが、現在は大運・年運共良く気にかけて

いませんでした。歳のせいでしょうか近頃変な失敗ばかりで泣きたくなります

フッと月運を考えると、忌の化土運でしたこのせいだと今月の節日は6日

ですから後数日の注意ですが、どうも疑い深く考えると歳?脳みその萎縮?

嫌な事が次から次へと・・・でも私へこたれません。根っからの性分は

根明ですから・・・・・?