< アイツ・20 >

子平学・四柱推命の最新ブログはこちら

    ↓ (従旺格と財的感覚)

https://sihoin-waraku.hateblo.jp/entry/2023/03/19/155542

 

三年生になる友達との会話は進路の話しが多くなったが、まさるは進路について

真面目に考えなければいけない時期なのに何故か考えは進まなかった。

家族は、書道教室の人数を増やして残り時間は家の手伝いをすれば良いと言うが、

家の仕事と言えば家事の他田畑は農業の仕事であり、この歳で農作作業服で多くの

時間を過ごすのも考えものでそうした生活には乗り気になれずにいた。

オイルショックで就職は困難と言われるが進路指導室には、二教室の境を取って

一室にしたような広い部屋には、所狭しと立てた本棚には求人の会社や商店等の

資料がぎっしりと詰まっていた。

二学期になると燐家の潤子は県庁所在地の市の大きな銀行に就職が決まり、美枝も

大阪の大手企業への就職に漕ぎ付けていた。

こんな風に校内の三年生達は次から次へと就職を決めた行き、まさるにも地元の

銀行や生協そして隣町の精錬所からも声が掛かり担任から「もったいない」と

言われながら一歩前に進めず周りの人達からは「高望み過ぎると・・」との嫌味の

声が聞えてくるようになった。高望みをしている訳では無いのだが自分的に

「決めた」と思える仕事が無いのである。

「進路はどうなりましたか?」と書道の伊藤先生に聞かれて「仕事は色々な人から

誘いがありましたが今一つ決め兼ねています」と言えば意外にも「人は怏々にし

てそうした事が有りますが納得いかない事に妥協をする必要は有りませんよ。

納得できる仕事が卒業ぎりぎりに舞い込んできたりしますし、舞い込んでこない

かも知れませんが、それはそれで良いでは有りませんか、君には家族と言う助けて

くれる人達がいますから、そんな時期は遠慮無しに頼りなさい。

何とでもなりますよ」と言われて気が大きく楽になり、両親には「紹介して頂いた

仕事には乗り気がしないから、もし就職しなかったら暫くお世話になります」と

言えば父親は「あ~あ~そうしろ、そうしろ父ちゃんは何時までも面倒は見るから

な」と言ってくれたが、母親は黙って不安そうな顔をしていた。そんな母親をみて

隣に座っていた父親は、曲げた肘で母親の身体を二回ほど軽くコンコンと

していた。それで母親は我に帰った様子で頷いた。

 三学期も終りに近づくに連れて寒さが増し、それまではあまり気にならなかった

寒さはやけに気にかかる冬だった。この頃になるとアイツは、校内の補習授業を

受けるより一人自宅で勉強する方が捗るからと、授業が終ると即学校を出るらしい

のだが、やはり大橋の手前でまだ進路を決めかねているまさるを心配して持つ

ことが多かった。「風邪を引くと大変だから早く家に帰ってね」と言うのだが

アイツは待っていた。「就職は決まった?」「まだだよ」の言葉が二人の合言葉

になった。ある日「こうして歩けるのも後僅かだね。十年後はどうしているかな?

僕達だけでなく中学校で一緒だった皆がね」「そうね 元気でいると良いね」

「そうだな元気でさえいたらそれで良いよな」「そうね」と後は学校や友達・勉強

の話しが取り止めも無く続くのだが大橋をゆっくり歩いて渡りきったところで、

二人は手を振って別れるのであった。クリスマスにはアイツに紺色の毛糸で

マフラーを編んでプレゼントして、アイツからは母親の手作りのそれはそれは

美味しいクッキーを渡され家族と一緒に「美味しい、美味しい」と言いながら

頂いたのであった。

 燐家の潤子は、「就職先の銀行から宿題を貰って、練習しなきゃ」と数字の

お手本を見せられた。「この通りに字を書けなきゃ駄目だって、真似て自分の

物にするのはお手の物だからね、どって事ないよ。習字していて良かった」と

言い、書道もそれまで以上に練習に励んだ。

 三学期になってもまさるは仕事を決め兼ねていたある日担任から「半年で良い

だけどね、大阪の県人会の人が設計事務所を営んでいるんだが、事務方の義妹さん

が出産に為に半年程仕事を休むのでその間、誰か手伝ってくれる人はいないかと

相談を受けたのだが姫野さんは無理だろうな?」「半年で良いですか?家族が

OKをくれたらお引き受けしたいと思います」と即答すれば、担任はきょとんと

した顔で見つめ返して来た。家族に話せば母親は涙顔になり困っていると父親が

「きちんと話を聞かんなー、まさるの将来の事だから、親の身勝手ばかりでは

筋道が通らんぞ」と言って貰って落ち着いて話し始める事が出来た。

「半年が一年になってもそれはかんまわんが、今してる事は出来るだけけじめを

つけ相手に納得して貰わんとな」と父親に言われて直ぐに書道教室の事を言

ってくれているのだと理解出来た。「はい、チャンと皆に相談して決める」と

答えて両親から了解を貰った。祖母に話せば「一度家を出て広い社会を観るのは

これから先まさるの将来の為になると思いますよ。だけどばーちゃんも歳を取った

から、淋しくって大声で泣きたい位やけんど、ここんとこは我慢しましょう。

帰ってきなさいよ」と「勿論!帰ってくるよ。指きりげんまん」家族全員に了解を

得て安心した。書道教室は子供や友達は最近頭角を現して来ている桂子に任せよう

と思った。高校を卒業すれば辞める人達もいて暫くは人数は減るはずだからと、

伊藤先生に半年間大阪で働く事を伝えると「そうですか君が留守の間は僕が代わり

に面倒を見ます」と嬉しそうに言い「大阪に行きましたら、月に一度色んな開派の

師範が集って書道を指導している所を紹介しますから顔を出してみなさい、

田舎者の君はビックリすると思いますが、大きなビルの上階にある広い部屋を

その日だけ借りて勉強会を開いています。良い勉強になると思いますよ、習う人は

一般の人で免許を持っている人もいればそうでない人もいましてね、上級師範の人

も教えたり教わったりして面白い勉強会らしいですから行ってみなさい」と言

われて紹介状を書いてくれる事になった。高校の友人や中学校で一緒だった

友人に話せば皆驚いたが、一度都会を見てくるのは良い経験になると言って

喜んでくれた。

 市内の缶詰工場に就職が決まっていた安藤は、「大阪か、半年で良いのか

半年で、だけど司は京都の大学には必ず合格するだろうからまさるがそれで

良いのだったら期間的には丁度良い位だな、司が転校して来てから皆は口に出した

事は無いけれどアイツが弁護士になりたいと言う夢の応援をしてきたよな、

中でもまさるはよく頑張った 半年と言うならもう一頑張りて言うところだな 

皆との約束の半年を守るのは大変だと思うけど、半年しても帰りたくなかったら

自分の気持ちに正直になった方が良いよ」と普段に無く重い言葉で伝えてくれた。

返す言葉を慎重に選だ末「ありがとう。」だけにした。

    


 18歳になっていた安藤と桂子は運転免許を取得した。桂子は「半島にはバイパス

が通る計画があってね。バイパスは半島のうちらの地域から出てみかん畑の

だんだん畑の中腹を縫って、此処までくる幹線道路のあの峠の所で幹線道路と合流 

此処まで一本道で自動車なら30分もあればゆっくりと来れるなんて夢見たいな

話は、必ず実現するって話はうちらの近所ではもちきりで、もう興奮よ」

「桂子も最高に興奮じゃん」「そりゃそうよ」と嬉しそうに話してくれた。

大橋に手前で待っていてくれたアイツに大阪行きの話をすれば「ヤッター それを

聞いて勉強する元気が出たよ 絶対合格するから」「そうだね頑張れ!頑張れ!」

「あっちに行けば時々逢えるね」とアイツ「うん、逢えるね」とまさる。

 三月の始めに卒業式を終えたその日、多くの同級生とパチンコの初体験をまさる

はした。夕方には、旅立つ友を駅でみんなして見送った。大阪の大手企業に

就職する美枝は、10日後に出発予定その二日前にまさるも旅立ちの予定である。

 アイツは二月に入試を終えていたが京都に行ったり来たりと慌しい日々を

送っていて逢う事は出来なかった。

合格の結果を聞いたのは安藤からであったが、大阪へ旅立つ二日前にアイツは

自宅を訪ねてきた。コタツに二人で座りながらお互いの電話番号と住所を交換

した。「ああこの家にも随分お世話になったな、夏の暑い日にはあの見晴らしが

良く涼しい部屋を厚かましくも一人締めして勉強をさせて貰った、

本当に感謝しかないな・・・」別れ際にアイツ「昨年は城跡公園に皆で桜見を

して楽しかったね。今年後二週間もすれば桜が咲き始めるね。

ここでの桜見は昨年で終りだったなんて気がつかなかったなー 終りになんかし

ない!又何時の日にかあの桜を見に帰って来る、必ず」と独り言の様に呟いた。

二人は二時間以上も一緒にいて思いで話に花を咲かせたのだった。アイツの父

親は裁判官、今の赴任地はかなり長きに渡った為、多分父親の転勤は早い時期に

訪れるだろうとまさるは察知した。

 二日後まさるは、

誰にも見送られるのが嫌で両親と祖母が見送る田舎のひなびたローカル駅から

蒸気機関車に乗り、主要駅で特急に新幹線へと乗り換えて大阪へと向かった

のであった。

 

 アイツ20 お・わ・り そして つづく

    子峰院・和珞の創作小説でした。