創作小説 < アイツ・5 >

 2022年お盆も最後の一日となりました。昔は庭先で家族たちは8月13日の夕方は

迎え火を、16日の夕方は送り火なるものを炊いていましたが現在は火の不始末が恐

いのでしていません。

 

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< 和珞の創作小説、アイツ >

          ( ※この話はフィクションです )

半島、桂子の家で郁と・・・)

夏休みになると直ぐに私と郁は、半島先にある桂子の家に行くのが

小学六年生からの恒例になって三度目の夏休みであった。数日間お世話になるの

である。出発当日は午前中に郁と自転車で半島行きの定期便の船が出る小さな港へ

と、港の近く桂子が何時も自転車を預けるお家に自転車を預けて港に行けば桟橋の

付け根に桂子の兄である光男が持ち舟を横付けして待っていてくれた、豚を町の

屠畜場へ連れて行った帰りだと教えてくれた。郁と私は自然と両手を合わせて

拝んだ。

桂子の家のプライベート桟橋で船を降りて坂道を十分ほど登り家に着けば直ぐに

昼食だった鯵のたたきと味噌汁でお昼を頂き、明日からは夫婦揃って他県の親戚へ

法事を兼ねた旅行に行くと言う桂子の両親から、明日からの注意事項を熱心に

聞いた。

私と郁はこの家でお世話になる変わりに一宿一飯の恩義に報いる為に早朝より

「豚の世話」をするのである。私は桂子の母に夏用のブラウスを一枚縫って

手土産に持参、渡すと明日これを着て旅行に行くのだと言う。普段着のつもりで

仕立てたものだから生地の柄にもっと拘れば良かったと言えば「これで充分、

貴女の縫ってくれた物はみんな着易い」と言って喜んでくれた。

夕方になると、桂子・郁と三人で水着を着たまんま家の庭から狭い階段を降りて

海に行く浅ければ小さな砂浜、満潮には水は岸迄届いて丘からダイブするわけで 

その前に使古したゴーグル・シュノーケル・足ひれを装着して思い思いにダイブ

して行きたい所まで泳いだり岩場で潜ってだりする、郁と私は桂子の家族に陸から

遠く離れないように注意を受けいているが久しぶりの事で三百m程郁と一緒に来た

所で、桂子から呼ばれて引き返した。泳ぐ時間は何時も一時間と決められていた。

濡れたまま三人で階段をワイワイ言いながら登り家に帰り外の水道で身体に水をか

けると、水着のまま外からの入り口からお風呂に向かい三人で入浴を済ませ、

夕食の手伝いをした。

ゆかりの家は、桂子の近所にあって、光男とは秋に結婚予定でもう桂子の家族と

同様であった。桂子の両親が旅行から帰るまで毎晩この家に泊まり私達の食事の

手伝いをしてくれるらしい。

洗い片付けが終ると三人は二階の部屋に布団を敷いた後は、三人寄ればカシマシ

でお喋りは続いた。

郁は

「ここに来られるのは今年が最後になるわ」と。

桂子「仕方ないね。来年は三年生、高校受験に事を考えると大事な時期だし、

人生は長いからチャンスは何時でもあるよ。何時来てもくれて良い様に此処で

大手を広げて待ってるから」と私は郁と目を合わせて笑った。

「何時もと言ったって、桂子の兄さんは結婚するし、桂子はもっと大人になって

他所に良くかも知れないし、結婚もするだろうし」と郁、

桂子は「私はここから離れる事はないよ。結婚は兄の様に近くの人と決めている

から」と、桂子らいしと思う。すると郁

「ご近所に好きな人でもいるの」と聞くと桂子は頭(かぶり)を横に二度振った。

桂子には自身の人生地図がしっかりと出来上がっているのだと感じ取り、

私もその仲間に何時までも荷担できたらどんなに良いだろうかと思わずにいられな

かった。

郁は地元の進学校である公立の普通科高校に進学を希望 地元では工業高校と肩を

並べ人気校であった。郁の父親は市役所から県庁に移動 母親は幼稚園の先生を

している。此処では珍しいエリート家族であり郁もエリートコースを望んだとして

も自然な成り行きであった。桂子は私に「来年も来てくれるよね」と、

私「来るよ。私は嫌われない限り毎年ずーと来ますよ」と、

郁「いいな」と それは正直な気持ちだろうと桂子も私も疑わなかった。

桂子は以前から「私、家計が大変だから高校へは行かない」と言い続けている

事から、その事に関しては誰も何も言わない。私は高校を卒業すれば大学など

持っての他、就職の予定で出来るだけ多くの資格が取れる地元の公立商業高校を

志願している。

これも誰もが承知の事である。この学校も中堅層の集る学校で入試の倍率は普通科

よりも高くそう多寡を括ってはいられないのは確かであるが、私は夏休みの桂子家

コースを外す事は絶対に考えられなかったのである。豚は朝が早い遅れを取っては

ならない三人は「寝るぞ」と号令をかけ、タオルケットもかけずに眠に落ちた。

 早朝は4時半過ぎに起きて先ずは豚小屋の掃除、其れが済めば馴染みの豆腐屋

行き豚の餌であるおからを大きなバケツに五杯程と馴染みの農家を回り野菜の食べ

られない硬い葉っぱや屑等を頂き、この地域では少ない数件の小さな居酒屋の軒下

に置いてくれている残飯や日頃お世話になっている民家の人にその日の残飯は無い

かと尋ねてあれば頂くのである。リヤカーで数回往復する事になる。

それを桂子・郁・私と三人の共同作業は朝食を挟んで10時頃迄行われ結構な重労働

である。桂子の兄は朝食を作り豚のご機嫌を見ながら餌をやり、豚の身体を拭く等

仕事は山程あった。豚は他の人が思うより遥かに神経質で綺麗好きな動物である

その世話は比例して苦労が伴うのであった。

桂子の兄は、農業高校の畜産科で学び養豚には熱心に取り組んでいる人であった。

3日目に桂子の両親が旅行から帰宅すると郁は両親に挨拶をして家に帰る事にして

いた。

桂子の父親は「かおちゃん、何時でも良いから又来て下さいよ。」

「有難う御座います。そうします。」母親は目に涙を堪えるようにして

頷いていた。気強い郁は笑顔で「おじさん、おばさんお元気で」と深く頭を

下げていた。

兄の光男が船で自転車が置いてある港まで送って行った。

私は8月のお盆の前日12日迄、20日以上滞在して豚の世話や泳いだりして

半島で桂子の家族と楽しく過ごしたのであった。

 

活花と祖父とアイツ)

 自宅に帰ると縁側で沢山の木の枝や夏菊や女郎花や萩等を間にして、

アイツと祖父がなんと仏壇の花を生けているところだった。驚きのあまり

「ただいま」の帰宅の挨拶を忘れて「えっ、どうして」と言ってしまった

祖父とアイツが「おかえり、此の間来た時仏壇の花が素晴らしいと言ったら、

それはお祖父さんが活けられると聞いて活ける所を是非見たくってお邪魔して

いるとこなんだ」と「そうだったのね」「男性が活花をするなんて、それも身近

な男性がだよ、これは感動物ですよ」と豪く興奮気味であった。

「明日からお盆に入るから、お盆の間はお邪魔しては行けないとお袋に言われて

いるから暫く来れないんだ」すると祖父「そんな心配は要らないが、

お母さんの言う事は聞いた方が良いな」と、二人は何時の間にか仲良しに

なっていた。

 アイツは、我が家は涼しく勉強がし易いからと、安藤達が卓球をする日に一緒に

来たり、たまには一人で来ては縁側の側の部屋に、自分用の机を家族に用意して

貰って勉強をしていたらしい。「お盆が過ぎたら来るよ。山登りにも行こうな。

宿題済ましておいた方が良いよ」

「遊びすぎて大分残ってるけど大丈夫」「かなり楽しそうにやってるみたいだね」

と言われて内心焦る私は、中学二年生の夏休みは折り返し地点の事でした。 

       つ づ く 。

 

 

今回の漢詩は、劉禹錫の秋風引 「引」と書いて「うた」と読みます。 

秋風引(あきかぜのうた)

何處秋風至     いずれのところよりしゅうふういたる

蕭蕭送雁群     しょうしょうとして雁の群れを送る

朝来入庭樹     ちょうらいていじゅに入り

孤客最先聞     こかくもっとも先に聞く

  (劉禹錫・りゅううしゃく)

 

( 意味 )

どこから秋風はくるのでしょうか

淋しい秋風の音は雁の群れを送っている

今朝、庭に秋風が吹き入って来て木立は葉音をたてる

その音をいち早く聞き付けるのは、孤独で淋しい一人旅の私であろう。

 

※意味は読んで感じるままに書いてみました。

 

2022年8月16日 子峰院の和珞書く。

                  ( ※無断転載禁ず )