< アイツ・21 >

 

大阪では、

県人会の紹介での大阪の仕事仲間は皆出身地は同じで言葉のなまりは気にせずに

すんだのは大助かりであった。設計事務所と言っても多角経営でタバコ店や所長の

弟は中華店や製麺所の経営と、それらの経理事務仕事であったが、最初はその日の

売り上げや仕入れの出資を出納簿に伝票や閉めたレジスターのロール紙を見たり人

に聞いたりして付けて行くだけの仕事を、もう一人の先輩と手分けをして行った。

時にタバコ店の店番を任される日もあった。住居は所長の自宅の空き部屋を女性の

寮として使い勝も1部屋を貰い、食事は三食とも所長の奥さんと所長の母親が毎日

作ってくれた。所長には私立高校の京子 小学五年生の剛(たけし) 4才のミドリの

三人の子供がいて、食事を一緒にする事が多かった。

長女の京子は産まれて直ぐに実の母親を病気で亡くし、彼女の世話をする為に母親

の妹が、大きな病院の看護師を辞めて手伝いに来ていたがそのまま所長と結婚して

義母になったのである。京子はお嬢さん育ちに係わらず取り澄ましたところがなく、

慣れない土地に来た勝に大きな書店や大阪駅前や地下街を優しく案内して教えてく

れ、時には本の貸り借り等もして親しくしてくれたが、必要以上にプライバシーを

侵す事等は無く、勝は、どうしてあの若さで裕福な育ちでありながらあれだけの

気配りができるのか不思議であったが、多分幼少の頃から人への気遣いの苦労が

彼女をあそこまで成長させたのだと思い、彼女より歳上の自分も彼女の半分で

良いから、人への上手い気遣いを心掛けいずれは彼女程の人になりたいと思い、

尊敬に値する彼女に出会えた事にも感謝したのであった。

 

 書道の伊藤先生から紹介してもらった 月一の同志会を訪ねて、住まいからは

歩いて行ける距離の貸しビル上層階へと、道具や作品を抱えて向かいドアを開け

るなり、その同志の多さに驚かされた。気付いてくれた女性に、挨拶の後

「南先生にお逢いしたいのですが」と伝えれば「南先生をお呼びして来ますね。

伊藤先生の御紹介の方ですね」「はい」それから

直ぐに、にこにこと笑みを浮かべて南先生らしき人が寄って来て「南と申します。

姫野さんですね」「はい、姫野です。初めまして、宜しくお願いします」

「初めまして、こちらこそ宜しくお願いします。」挨拶の後は少しの雑談をして、

作品を見て貰ったが朱液での上書きは無く他の紙でお手本を書いての指導があり

南先生以外の人もあーだのこーだの言って指導してくれた。

「後で他の人の作品も前に広げるから見ると良いです

よ」と言われ、何時も誰彼無しに側に来ては話しかけて来て退屈や一人でポッツン

と過ごす事は無かった。暫くして着物袴姿の老紳士が現れて場内をウロウロしなが

ら、広い机の上に置かれた作品を覗いて側のいる人達と一言二言会話を交してなが

ら、移動をしている。暫くすると勝の側に来たので深く頭を下げると「伊藤さんの

お弟子さんですね」と南先生に「そうです」直ぐに勝は「姫野です。」と言った。

 するとその老紳士は勝の作品を見ながら「これが姫野さんの作品ですね」

「はい」と答えた「こちらにおられる期間は短いと聞いていますが、その間は

毎月いらっしゃい良い事がありますよ」と言われ「はい」と答えた。

その後で南先生が「あの方はこの会場の言い出しっぺーなのよ。

〇〇派のトップでね。東京にも沢山のお弟子さんいるしその中には著名な方も

おられるの、でもそんなに気にする必要はないよ、桑井出先生は伊藤先生と古い

お友達だから、良い事があるって言うのだからきっとね」と言われた。帰り際

に桑井出先生に呼ばれて「この本を進呈しますから受け取って下さい」と

手渡された本が数冊、南先生が「頂いておきなさい、役にたちますよ」と言われ

深くお辞儀をして「有難うございます」と言って受け取った。ビルを出て左右に

別れる南先生にも失礼が無いようにと言葉を選びながらお礼の言葉を伝えた。

部屋に戻ると「こんなに疲れたのは初めてだ」と思った。

 

アイツは大学の寮に入り落ち着いたから一度大阪で会おうと連絡があり、

美枝に連絡を取れば美枝もアイツに会いたいと言い、中学校時代、何時も一緒に

遊んで大の仲良しだった久美が尼崎で縫い娘として働いていると、母の手紙で

知らされて電話連絡をすれば彼女も又アイツに「会いたい」と言うので四人揃って

待ち合わせた、アイツは学生で収入がないので女子三人は極力お金の掛からない

大阪の繁華街ブラを決め込んだ。アイツは学校や友達に話を聞かせてくれて、

中学時代の友達の御蔭で友達を作るノウハウを覚えて、それが大学生になった今

役立つのだと言い女子達を喜ばせ、体力を鍛える為にハイキング同好会に入ったと

言い、女子達をホッと安心させたのであった。別れ際学生生活が忙しい為、

今度何時会えるか解らないので改めて電話連絡すると、まさるにそっと伝えた。

「またね」と別れの挨拶をすると四人は、淋しさを抑える為きびすを返すように

自分達が行く前方だけ見て歩き出したのだった。大阪駅の北口に出るとピンクの

つつじの花が咲き誇っていて、まさるは暫くそれをぼーと眺めていた。

 

 勝に取って大阪の生活は目新しいものばかり、市場(いちば)と言う賄い所には

食材が豊富な事に驚いたが何より「みたらし団子」は、上新粉白玉粉で作った

一口ほどの団子を焼いて醤油を甘くしたタレを上から仰山かけた様なそれは今迄

食べた事の無い、とても美味しい物で所長の母親である婆様に賄いの買い物に

御供をした始めの頃、みたらし団子を皆の分も買おうとすると婆様がお金を払って

くれ、それから御供の時は、婆様によって沢山のみたらし団子は買われたので

あった。四月に婆様のお供で造幣局側の川沿い八重桜群集の通りぬけに、五月には

城北公園の菖蒲園や駅前の劇場で有名俳優のお芝居に連れて行って貰い、所長の

奥方からは宝塚歌劇団にも連れて行って貰もらった。慣れない仕事の大変な中

にも、これでもか、これでもか、と言う程に楽しい日々を送る事ができた。

盆休みには帰省しないと言う美枝や郷里から地元の国立大学に通う郁が大阪に

遊びに来くれて、大きなスクリーンのシネマ映画館へ「寅さん」を一緒に観に行く

と運が良い事に三人共座る事ができた。美枝が「心ならずも故郷を失った人やお

金が無くて故郷に帰れない人が、寅さんを観ると懐かしい古里に帰った気持に

なれるだって!だからお正月やお盆に放映される寅さんは都会に暮らす田舎出身の

人に取っては特別な映画なのよ」と話してくれると、郁と勝は一斉に「寅さんは、

皆の心の古里なんだね」と言って三人して微笑んだが心の中には大事な何かで

満たされ「寅さん」に意味不明の感謝をした。アイツは夏休みを両親の元で過ごす

と言って六月終わり頃からは会っていなかったが、勝の大阪暮らしは一ヶ月半と

残り少なくなっていた。

 

アイツ21 お・わ・り そして つづく

    

子峰院・和珞の創作小説でした